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カープ→巨人トレードのウラ側「木村拓也は『リストラ部屋』を志願」

2020年11月17日

カープ→巨人トレードのウラ側「木村拓也は『リストラ部屋』を志願」

「リストラ部屋」を自ら志願したソニーの課長

日本の家電業界が熱に浮かされたようにリストラを繰り返した時期があった。日本を代表する企業に、「キャリア開発」を名目にした特別な部屋が設けられ、整理対象の中高年サラリーマンが集められていた。

そこに送り込まれた社員は、早々に会社を辞めることを期待されていたから、「リストラ部屋」とも「追い出し部屋」とも呼ばれていた。ところが、誰もが嫌がるこの部屋に志願した課長が、ソニーの外装設計部にいた。長島紳一という。

2012年のことである。長島は54歳になっており、翌年から実施される管理職の役職定年制度の下で、統括職を解かれる不安を抱えていた。つまり、部下を持てないヒラ管理職に降格される危機を迎えていたのである。

彼は迷った末にこう考えたのだ。

──リストラ部屋にもメリットはある。各部門がそれぞれ募集する早期退職者に、部門の壁を越えて自由に応募できることだ。

それに早期退職者に応募して辞めれば退職加算金が2倍の3000万円に跳ね上がる。このまま会社にしがみついていても、降格や減給、転出、解雇、叱責、白眼視と、おびただしい不安に脅かされ続けるだけではないか。

──よし、ここを出て好きなことを始めよう。

「リストラ部屋」行きは、カードゲームでババを引いたようなものだ。だが、辞める覚悟を固めたとたんに、そのジョーカーは切り札にもなり得る。

そして、長島はリストラ部屋で44日を過ごし、会社を飛び出した。彼は海外企業のコンサルタントなどを経て、慶應義塾大学理工学部の研究員を務めている。

「監督の構想から外れた」34歳の木村拓也

木村拓也は、その課長に似た心境だったのではないか。少なくとも2006年当時は──。

彼が所属する広島カープは前年の最下位に懲りて、新監督のマーティ・ブラウンに再建を託していた。1975年に指揮を執ったジョー・ルーツ以来の外国人監督である。ブラウンは3年計画を掲げ、地元出身のルーキー・梵英心や東出輝裕ら若手を起用し始めていた。

そのために一軍から外された1人が木村だった。34歳になっていた。

木村は173センチと小兵だが、ドラフト外で入団した日本ハムから移籍し、11年の間、ユーティリティープレーヤーとして活躍している。オールスター戦やアテネ五輪にも出場したものの、この年は開幕から二軍である。スポーツ紙は「監督の構想から外れた」と常套句を使った。

ライバル選手たちのけがや不調をじっと待つ手もあったのだろうが、木村はそうはしなかった。「まだ働けるから、他の球団に出してくれ」と球団本部長だった鈴木に掛け合ったのである。

木村は朴訥とした口調に矜持を隠した男で、「上原浩治が雑草と言うんだったら、俺は岩にへばりついた苔ですかね」と私に話したことがある。巨人のエースだった上原は、無名の高校時代からメジャーへと飛躍し、「雑草魂」を口にしていた。それなら、自分は「苔魂」で頑張るしかないと、上原への羨望を込めて言うのだった。

「使われないまま年を重ねていくのが耐えられない」

鈴木清明から、巨人の球団代表を務める私のところに電話があったのは、夏めいてきて、2年目の交流戦も後半に差し掛かったころだった。

「木村拓也のことなんですが、若手が伸びてきて、ブラウン監督のカープには居場所がなくなりつつあるんですよ」

と鈴木は切り出した。木村が私の母校(宮崎南高)の後輩だったから、私は引き込まれた。

「拓也も移籍を希望しています。後輩にもう一花咲かせてあげてくれませんか」

私は若手1人を交換要員として提案し、鈴木はすんなりとそれを受け入れた。「けたぐりのようなトレードですね」と巨人監督の原辰徳には茶化されたが、それは巨人に一方的に有利な選手交換で、木村を出してやろう、という鈴木の強い気持ちがなかったら、あれほど簡単にまとまらなかった。

当時の私は、11年間、巨人の背番号8を背負った仁志敏久から、木村と同じような申し出を受けていた。その年のオフに、仁志を横浜ベイスターズに送り出したので、鈴木の苦渋がわかるような気がした。仁志は「監督の方針もわかるが、使われないまま年を重ねていくのが耐えられない」と話していた。

私が頑固な仁志を嫌いではなかったように、鈴木も木村に思い入れを抱いていたようだった。それはかなり後になって知ったことだが。

そんなリストラの結末もあるのか

(中略)木村もその年が最後のシーズンになった。彼は2008年には自己最高打率2割9分3厘を記録するなどして、巨人のリーグ3連覇の立役者の1人となった。そして、引退と同時に一軍内野守備走塁コーチに就いた。

その翌年の4月2日のことである。開場2年目のマツダスタジアムで、広島対巨人戦が始まる直前だった。巨人のコーチとしてノックバットを手にしていた木村が突然、グラウンドに崩れ落ちた。クモ膜下出血だった。それを見ていた緒方や鈴木、そして私も何もできなかった。

夏ごろになって、カープの選手ロッカールーム入り口に、横30センチ、縦20センチほどの銅板プレートが取り付けられた。元が発案したのだが、記者発表はしなかった。そこにはカープのユニホーム姿の写真が焼き込まれている。はにかむような木村の笑顔の横にこう刻まれていた。

〈木村拓也

広島東洋カープ在籍

1995~2006(11年間)

投手以外の全ポジションで活躍

最後まで闘う勇気と闘志。

あなたの笑顔を

私たちは忘れない。〉

そのプレートを、コーチとなった緒方が触れて出て行く。鈴木はその姿を見かけるたびに、彼らの寡黙な友情を感じた。

だいぶ経ってから、2009年オフに木村をカープのコーチにして戻す計画のあったことを私は知った。巨人のコーチに先に決まったので、鈴木はしばらく見守ることにしていたのだという。

そんなリストラの結末もあるのか、と私は思った。

(※引用元 Number Web

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