広島・中村奨成捕手(22)には、年末年始に訪れる場所が2つある。いずれも今年の活躍の背景を紐解く上で欠かせない原点だ。
「ビックリ打ちになってるで」
12月末には、母校の広陵高校に顔を出す。同校出身のプロ野球選手らが集まり、地元の少年少女らに向けた野球教室を開くのが恒例となっているのだ。昨年はコロナ下で開催されなかったものの、恩師である中井哲之監督への挨拶に向かった。
その日は、同校出身の阪神・俊介や元阪神・上本博紀氏も母校を訪れていた。監督を先輩と囲みながらの雑談は、自然と打撃談義へと変わっていく。昨季は4打席無安打。恩師らが確認できた試合は、2軍戦を合わせてもごくわずかだったに違いない。それでも、率直に感想を伝えてくれた。
「ビックリ打ちになってるで。“ストライクゾーンに入ってきたから急いで打った”みたいに見える」
自身のタイミングで球を呼び込めず、狙い球でない球にも反応してしまうことを「ビックリ打ち」と表現された。高校時代の打撃フォームをよく知る人からは、当時と比べて間(ま)が失われているように映っていた。
高校時代は左足を大きく上げて、軸足一本で立ちながら球を呼び込んでいた。2017年夏の甲子園では1大会最多を更新する6本塁打。細身の体格から段違いの飛距離が生まれていたのは、理想的な形で球に力を伝えられていたからだろう。いまの中村奨にはプロ3年間で身につけた技術があるだけに、当時の感覚を再び応用できるかもしれないと思えた。
「確かに2軍で安打は出るけど長打があまりない。高校まではグーッと足を上げて、足が地面につくまでにしっかりとタイミングが取れていた。プロの投手にそこまでゆっくりとはできないけど、あの足の上げ方が自分の中では一番合っているのかなと思った」
年末年始に足を運んだもう一つの原点
母校への訪問で得たヒントを手に、もう一つの原点に足を運んだ。中学時代に所属した「大野シニア」の練習場である。年末年始は、時間があればチームのグラウンドを訪れ、黙々と個人練習を続けた。
大野シニアが毎年1月3日に開く新年会には、プロ入り後も必ず参加してきた。早朝は中学生と一緒に神社まで走って必勝祈願をし、その後にバーベキューをするのが恒例行事。しかし、今年の新年会は新型コロナの影響で中止となり、後輩に自らの目標を伝える機会もなくなった。
入寮を直前に控えたプロ1年目の新年会では「1年目から活躍します!」と堂々と新年の抱負を語った。しかし、現実は厳しかった。2年目までは昇格すらかなわなかった。プロ3年目を前にした昨年の新年会では、バーベキューを早々に切り上げて、グラウンドの片隅で一人バットを振った。旧交を温める時間さえも惜しいと感じるほどの危機感を抱いていたのだ。
中学時代に使用したグラウンドに立つと、気持ちよく打球を飛ばしていた当時がよみがえる。ティー打撃をすれば軟式球が割れて潰れ、フリー打撃をすれば飛距離80メートルを超える柵越えを連発して練習球を消費した。そうやって無心で野球を楽しんでいた頃を思い出しながら、シーズンへの準備を整えた。
そして、高卒4年目の今季を迎えた。今季初昇格となった4月16日の中日戦では、「2番・左翼」で先発出場。5回の第3打席、鈴木の高め直球を振り抜くと、打球は左翼線で弾んだ。通算7打席目でのプロ初安打。「やっとプロとしての一歩を踏み出せた」。追い込まれてからはタイミングの取り方をすり足気味に変更し、足の上げ幅を小さくした。それでも、大切にしてきた「間」は失われていなかった。その立ち姿には、どこか高校時代の面影があった。
一度2軍に降格するも、チーム内で新型コロナウイルスの感染が拡大したことで再び1軍から声がかかった。その後は、プロ初打点を挙げて、クリーンアップでの先発も経験するなど徐々に存在感を高めている。
心配をかけてきた恩師らも安心していることだろう。今度の年末年始は、少しぐらい褒めてくれるだろうか。いや、まだプロとしての第一歩を踏み出したに過ぎない。恩返しは、始まったばかりである。(河合洋介)
(※引用元 文春オンライン)