今でも、LINEにメッセージが入ることがある。「ヤバいっす。ミットの皮ひもが切れました」。プロ野球選手になっても、飾らない姿は少年時代と変わらない。
「そういうことが何度かありました。嬉しいもんですね。シーズンオフには、うちの店に寄って、スタッフに声を掛けてくれたりしました。シーズン中も、『ホームラン打ったの見てくれました?』なんて連絡が来ることもあります。仕事で見られなかったときは、慌ててYouTubeで映像を探しますよ」
中村奨成の運命を変えた人物
末兼洋一さん。広島県廿日市市を拠点にスポーツ用品の販売を営んでいる。この道25年、シオダスポーツを運営する(株)ビクトルの代表を務める。とはいっても、気さくな語り口は昔から変わることがない。
この人が、中村奨成の運命を変えた人物である。この出合いがなければ、甲子園での1大会6本塁打もなかったかもしれない。末兼さん自身は、謙虚に首を横に振るが、中村自身は感謝の気持ちを忘れない。
「小学1年からの付き合いです。スエさんには感謝しかありません。あの人がいたから野球が続けられました。広陵高校に進むことができたのも、スエさんとの出合いがあったことがきっかけになっていると思います」
2人の記憶に少しズレがあるのも、心地良い。スエさんの記憶は、こうだ。
「小学校1年からって言ってましたか? たぶん、初めて彼を見たのは2年だったと思います。大野友星という軟式野球のチームでした。元気が良くてフルスイングの印象はありましたが、他にも良い選手がたくさんいましたので、彼だけが目立つという感じではありませんでした。もちろん、仕事で相手チームも担当していることもありましたから、彼だけに肩入れをして見るということではありませんでした」
スエさんは、どこまでも自然体だ。だからこそ、中村を始め多くのアスリートが慕うのだろう。
ただ、中村の才能はスエさんを前のめりにさせた。
「中学生になり大野シニアベースボールクラブでプレーする頃になると、目立っていましたね。肩の強さが抜群でした。一塁ランナーをキャッチャーからの牽制でしょっちゅうアウトにしていました。もう、相手ランナーもリードを大きく取れなくなっていました。打撃も凄かったです。グランドの外野のネットを越えて、その向こうの敷地の境界にあるネットを越える打球を打っていました。指導者の方々からも、(上のレベルで)勝負できる選手だと聞いていました」
プレーだけではない。
「明るい性格で、ウラオモテがなく、正直に自分の失敗を認める姿もいいなと思いました」
中村には広陵高校が合っていた
スエさんの仕事は、営業やメンテナンスが中心だ。しかし、中村の存在が気になるようになっていった。業務のみならず、休日があれば、中村の所属する大野シニアの試合を見に行くようにもなっていた。
「野球で勝負したい」。これは、中村も指導者も一致していた。そのうちに、全国区の強豪である広陵高校の見学に行けないかと(周囲からも含め)相談を受けるようになった。
スエさんは、少年野球から高校野球、大学野球に社会人と多くのチームを担当している。もちろん、一歩引いた冷静な目で各チームをアシストし、それぞれのチームに良さがあることは肌で感じている。もちろん、「どのチームが良い」ということではない。
ただ、中村には広陵高校が合っていた。
「中井(哲之)監督は、野球のみならず、人となりを大事にする指導をされているように感じます。野球人として。その前に、男として、人として。そういうことを叩きこまれます。中井先生は、厳しくて愛情もあって、彼に合っていたのだと思います」
全国屈指の強豪チームである。練習は厳しかった。それに加えて、重圧もあった。中村は「背番号20」を着け、1年生のときから上級生に交じってプレーしていたのだ。
「あの頃が一番しんどかったですね。体の面もですが、ずっと試合に出るプレッシャーが凄かったです。とてもキツくて、耐えられないんじゃないかと思ったこともありました」
そんな1年生の支えは、シオダスポーツの担当として広陵高校のグランドに出入りするスエさんだった。ミットの修理など、ちょっとした時間に話を聞いてもらった。これが大きかった。
「スエさんが『どうなんや?』なんて声をかけてくれて、これが本当に心の支えになりました。小学校時代から知ってくれている人が身近にいてくれる。しかも1年生でしたから、この存在は大きかったです」
スエさんは、あのころの中村の笑顔を忘れない。
「最初は『しんどいしんどい』と言っていましたが、少しすれば『どうにかなるっす』『大丈夫っす』と前を向いていました。そういえば、めちゃめちゃ明るくて泣き言を言わない男でした」
「あの夏の活躍は私もびっくりしましたよ」
そのうちに、中村の「目つきが変わった」。チームを引っ張るようになり、長打と強肩で注目を集めるようになり、3年夏の甲子園1大会6本塁打である。
「あの夏の活躍は私もびっくりしましたよ。どんどん体が大きくなり、オーラも大きくなり。なんかやるぞ、なんかやるぞ。そんな雰囲気になり、甲子園での6本塁打です」
スエさんからすれば「存在が遠くなる」ような気もしたが、全くの杞憂だった。
「それが、甲子園から戻ってきたら、いつもの彼なんです。まったくフツウでした」
中村は道具を大事にする選手である。スパイクもミットも、何度も何度も修理して使ってきた。
ミットの修理。スエさんが強くしていたのは、道具だけではなかった。未来あるスラッガーの心にも栄養分を与えていたのかもしれない。
今、中村は、捕手だけでなく外野にもチャレンジしている。俊足・強肩の資質を生かしたチャレンジである。本人もポジティブなら、スエさんの声も明るい。
「私らが言うことはないですが、それで少しでも試合で元気な姿が多く見られるなら、いいことですよ」
夏の甲子園もいよいよ大詰めである。球児の数だけ、支える人がいる。周囲のほんの一言が若者に勇気を与えることもある。野球の魅力はグランドの隅々にまで詰まっている。2人の明るい声は、野球の魅力を何倍にもしてくれる。
(※引用元 文春オンライン)