カープに鯉

広島カープへの想いを届ける記事を掲載♪「カープ関連」のLINEスタンプも紹介してますヾ(*≧∀≦)ノ゙

古葉監督も忘れていた挑戦、V旅行にバット持参『両打ちの首位打者』

2022年10月12日

古葉監督も忘れていた挑戦、V旅行にバット持参『両打ちの首位打者』

内田順三氏は正田にスイッチヒッターへの“転向”を勧めた

現役時代にヤクルトや日本ハム、広島で13年プレーし、広島と巨人で指導者を計37年務めて数々の打者を育てた内田順三氏。50年連続でプロのユニホームを着た名伯楽が「私にとっても勉強の日々でした。おかげで37年もコーチをすることができました。原点です」と感謝する好漢がいる。広島の正田耕三は、1987年にプロ野球で初めてスイッチヒッターとして首位打者を獲得した。

正田はアマ時代、エリートだった。新日鉄広畑の内野手として都市対抗で活躍し、日本代表に選出されて1984年ロサンゼルス大会で優勝。その年のドラフト会議で広島から2位指名を受けた。しかし、その肩書もプロでは通用しなかった。入団した1985年、代走や守備要員でスタートを切った。打撃コーチだった内田氏が振り返る。「それまで社会人でずっと主力。ベンチに座って出番を待つなんてことはなく、物足りなかったでしょう」。思い詰めた正田が「どうしたら試合に出れるようになりますか」と相談してきた。

身長170センチと小柄。右打者で、逆方向への打撃など小技は上手だが、パワーはない。特徴は俊足。内田氏の頭に2人の選手が浮かんだ。高橋慶彦と山崎隆造だ。ともにプロ入り後にスイッチヒッターに取り組み、機動力がお家芸のカープの1、2番を形成していた。「お前もやってみるか」と問うと、正田は「何でもします」。内田氏が古葉竹識監督に転向案を打診すると、「ええよ。任せた」とあっさり了承してくれた。

全く未経験の左打席で、1軍レベルのスイングを作り上げるには、何をすべきか。まだコーチ業3年目の若き内田氏にとっても挑戦だった。「打撃コーチはアイデアマンであれ」。現役時代にヤクルトで指導を受けた中西太氏の言葉を胸に秘め、実践した。

半分の距離で、捕手の防具や小手を着けて打撃練習を行った

まずは猛練習を課した。カープの寮から内田氏の住まいは車で10分弱で、広島にいる時は毎日通った。隣接する室内練習場で、1時間半で1000球近くマシン打撃に臨ませた。マンツーマンでの特訓で、試合前や遠征先では右でしか振らせず、結果的にチームには隠す形になった。

「速いボールを打つには、後ろを大きくしていては間に合いません。いかにして反応を早くさせるか」。マシンと打席の間隔を縮めていき、最終的には半分くらいに。怪我防止のために捕手の防具や小手を着用させた上で、空振りすれば体に当たる程にホームベースに近付いて立たせた。通算3283安打&660本塁打のウィリー・メイズがキャンプで行っていたという練習法を参考にした。内田氏は新外国人の獲得調査で渡米経験があり、本場の野球事情にも精通していた。

最初の1週間はかすりもしなかったが、たまにチップが交じってきた。囲んだネットの上に打球が当たる。ライナーが飛び出す。振れば振るだけ段階が上がっていく。「バットの軌道が一番無駄のないように。感覚を体に染み込ませました」。インサイドをさばくため脇が開かぬようゴムチューブで縛り付けた。武器の足を生かすために、太く重いバットを投球にぶつけてゴロを打った。打撃のフォームもスタイルも目指す形が固まってきた。

当時クライマックスシリーズはない。順位が確定すると、将来を見据えてシーズン終盤の残り試合で若手を登用する場合が多かった。広島が2位だった1985年、古葉監督は内田氏に「打たせたいヤツを出していいぞ」と促した。中日戦で相手投手は快速球が武器の小松辰雄。内田氏は、成果を試すには絶好の機会とばかりに正田を推薦した。監督は「おう、出せ」。ところが内田氏が「左で打たせます」と告げると、「えっ、大丈夫か」と驚いて聞き返してきた。シーズン当初のスイッチ転向の話を完全に忘れていた。

「コーチが選手を育てたのではなく、選手がコーチを育ててくれる」

正田は食らいついて粘った末、ヒットにこそならなかったものの、レフトライナーを放った。首脳陣は口を揃えて「これはいける」と打撃内容を評価。正田のスイッチは“公認”となった。同時に二人三脚の練習の厳しさも増し、正田が手の不調を訴えても、バットと手をテーピングで強引に巻き付けて振らせたこともあった。

1986年は90試合出場で打率.288と着実に成長を示した。チームもリーグ制覇を果たし、オフにはハワイへ優勝旅行。正田はコンペに参加した際、クラブを入れるバッグにバットもしのばせた。内田氏は「私は見てないのですが、周りから聞きました。絶えず素振りをしないといけないと考えていたんでしょう。うれしかった」と回想する。

正田は1987年に初めて規定打席に到達。中日の落合博満、巨人の篠塚和典(当時は利夫)、中畑清と首位打者争いを繰り広げた。篠塚を1厘差で追った打席でバント安打を成功させて並び、.333でタイトルをつかんだ。ホームランなしでの首位打者も2リーグ制後初めて。さらに1988年には.340で2年連続、今度は単独で首位打者に輝いた。

「私も若いから熱意があり、どんどん指導をしていく中で、正田が一つ一つクリアしてくれた。今考えてみれば凄いこと。よくコーチが誰々を育てたなんて言うが、本当は育ててなんていません。選手がコーチを育ててくれるのです」。内田氏の名伯楽の歴史は正田から始まった。

(※引用元 Full-Count

関連記事

得点能力が高い・カープ打線のキーマン『朝山東洋』/新井貴浩コラム

得点能力が高い・カープ打線のキーマン『朝山東洋』/新井貴浩コラム

カープは今年も打線に力があります。何と言っても得点能力が高い。そんなカープ打線を支えるキーマンとも言える人物が、ついにこのコラムに登場です。(鈴木)誠也? (西川)龍馬? いやいや、一軍打撃コーチ、朝 …

「強いのか弱いのか…」今季3度目8連勝でも不安な広島ファンの胸中

「強いのか弱いのか…」今季3度目8連勝でも不安な広島ファンの胸中

連敗、連勝、また連敗 強いのか弱いのか、さっぱりわからない。それが4連覇を目指す、今シーズンの広島カープの姿です。 スタートダッシュに失敗し、4月7日から12日にかけて5連敗したかと思うと、17日から …

我慢が成功のカギになる?浮沈を左右する新助っ人をデータから分析!

我慢が成功のカギになる?浮沈を左右する新助っ人をデータから分析!

野球一族が生んだ魅惑の大砲、昨季は3Aで82試合ながら38本塁打、OPS1.226 2020年のプロ野球もシーズンオフに入り、各球団が来季に向けての戦力編成を進めている。すでに来季の新外国人選手との契 …