日本シリーズが始まったのは2リーグ制となった1950年のことだ。53年までは「日本ワールド・シリーズ」という微妙な名称だったが、オールスターやクライマックスシリーズなどのプレーオフは試合数や制度などに変遷があるものの、日本シリーズは1年目から基本的に第7戦までで、先に4勝したほうが日本一、ということは変わっていない。
頂上決戦だから一方的な展開ということは珍しいが、“最短”の日本シリーズは4試合のみのシリーズ。第1戦から第4戦まで4連勝、というシリーズで、これは60年に大洋(現在のDeNA)が大毎(現在のロッテ)を圧倒したのが最初だ。一方で、“最長”は第7戦までのシリーズかといえば、否。第8戦まで激闘を繰り広げた頂上決戦が1度だけある。広島と西武、ともに黄金時代にあったチームが激突した86年の日本シリーズだ。
主砲の山本浩二がシーズン限りの引退を発表していた広島は阿南準郎監督、リーグ連覇で日本一の奪還に懸ける西武は森祇晶監督と、ともに就任1年目。第1戦(広島市民)が延長14回で引き分けたことが、プロ野球で初の第8戦への導火線となる。とはいえ、1試合を引き分けることは第8戦が成立する条件には違いないが、それだけで第8戦にもつれ込むとは限らない。
第2戦(広島市民)から第4戦(西武)まで広島が3連勝。とても第8戦までの長丁場になりそうな予感はなかった。だが、第5戦(西武)で、ペナントレースでは打席に立つことのない投手の工藤公康が延長12回にサヨナラ打を放ち、ようやく1勝。西武が息を吹き返すと、そこから第7戦(広島市民)まで3連勝で、第8戦が実現する運びとなったわけだ。
第8戦は3回裏、投手の金石昭人に3ランが飛び出し、広島が先制するも、6回表に秋山幸二の2ランで西武が同点。このとき秋山は本塁の手前でバック宙を披露している。そして8回表にブコビッチの適時二塁打で逆転。そこから工藤が完璧なリリーフで西武が逃げ切り、日本一に。敗れた広島だったが、引退する山本はナインに胴上げされ、「山本浩二は幸せな男です」と涙ながらに語った。(文=犬企画マンホール、写真=BBM)
(※引用元 週刊ベースボール)