野村謙二郎は1997年オフにMLB移籍を熟考…ただ一人相談した人物とは
もはや日本人野手のメジャーリーガーは珍しくない。今オフもオリックスから吉田正尚外野手がレッドソックスへ移籍した。振り返れば2000年オフにイチロー氏がマリナーズ、新庄剛志氏がメッツに羽ばたいていったのが、野手では最初だったが、それ以前にもメジャーに挑戦しかけた大物日本人野手はいた。元広島の野村謙二郎氏だ。現在は野球評論家であり、広島大学スポーツセンター客員教授でもある野村氏に、現役時代など、いくつか振り返ってもらった。
1997年に野村氏はFA資格を取得した。メジャーに挑戦するか否かで迷ったのは、その年のオフだったが、それ以前から夢ではあった。「何よりも最高峰で自分がどれだけできるかって考えていた」。1988年ソウル五輪のチームメート・野茂英雄氏がドジャースで活躍していたのが刺激になったし、日米野球に出場し、純粋に力を試したくなったという。
「野茂とは仲がよかったし、活躍しているなぁ、アメリカってどうなのかなぁってね。それにオリンピックの時の(米国)メンバーだったジム・アボットや、のちにホワイトソックスの監督になったロビン・ベンチュラとか、ファーストにいたティノ・マルティネスとか、彼らが活躍していたのを見てたからね。夢っていうのはあったよね、やっぱり」
当時は現在と違って、メジャー挑戦に関して、いろんなことが整備されていなかった。日本にはまだ代理人制度もなかったし、日本人野手は1人も行っていなかったのだから、未知数な部分も多かった。それでも野村氏は夢を追いかけることを真剣に考えた。ダイヤモンドバックスやデビルレイズ(現レイズ)が興味を持っているとも噂された。金銭面のことは全く気にしていなかったが、本当に獲ってくれるのか、メジャー契約なのか、マイナー契約なのか、招待選手なのか、全くわからない状況でもあったという。
イチロー氏に「俺は残ったから頑張ってこいよ」
その結果、悩んだ末に自分ひとりで広島残留を決断したわけだが「今思えば、残ってよかったのか、行かなくて後悔しているのか、というと、半々ですね」という。ただ、2005年の現役引退後にロイヤルズの臨時コーチなどを務めたことに「現役が終わった後にアメリカの野球に携わらせてくれた9年間というのは、それを精算したかったというか、やっぱり自分の夢ってこうだったんだなって思いましたね」としみじみと話した。
そして、思い出したようにこう付け加えた。「俺が(メジャー挑戦を)やめた後、(メジャー移籍前の)イチローとたまたま会って『野村さん、行ってほしかったです』って言われた。同じようなタイプの俺が先に行っていたら、イチローもこれぐらいできるってイメージが湧いたのに、ってことで言ったんじゃないかな。俺は残ったから頑張ってこいよって話したけどね。懐かしいね」。
もしも、あの時、野村氏がメジャーに行っていたらどうなっていただろうか。「それは想像できないね。行っていないんだから。だから、行った人はすごいよ」と微笑む。「今は前みたいに、日本に残ったらいいのにとか、なんで出ていくんだよとか、ファン心理もだいぶ変わってきているから行きやすい環境。トライしている人たちに対して行ってきなさい、頑張っておいでよという後押しはすごくあると思うんで、どんどん俺は行っていいと思うし、やるからには頑張ってほしい」と現役世代にエールも送った。
そんな野村氏は現役時代に数々の記録を達成しているが、次の話は1995年の打率3割、30本塁打、30盗塁のトリプルスリーについて。これに関しては“謎”が多いという……。(山口真司)
(※引用元 Full-Count)