野村謙二郎氏は手帳に感情を書き記し、怒りを鎮めていた
昔は怒られてばかりだった。手を上げられたことも何度もあった。そんな環境で育ったが、自身が指揮官になった時にはすべてが“御法度”になっていた。選手やチームに対して思ったことを行動に移す前に一度考える必要があった。感情もコントロールしなければならない。野球評論家で広島大学スポーツセンター客員教授の野村謙二郎氏は広島監督時代、そのために怒りの“はけ口”を作っていた。どんな時も、まずは、そこにすべてをぶつけたという。
野村氏が活用していたのは秘密の手帳だ。「スコアとか。癖とか、こういう傾向があるとか、このタイミングでは牽制しないな、とかをメモしていたけど、あとは怒りを書いていたね。このボケとか、何回言っても同じことの繰り返しだ、とか、さっき指示を出したのに、こいつ何考えているんだとか、やっていることが違うとか、そこで吐き出した。それを書いて自分でおさめていたって感じ」。これは監督1年目からやっていたという。
きっかけは「選手にプレッシャーを俺はかけているつもりはなかったし、言葉に出してもいなかったんだけど、目付きとかそういうのがあったからね」とのこと。「ひょうひょうと書いているけど、実はひどいことを書いたりする。しょっちゅうではないけどね」。極端な言い方をすれば、鉄拳制裁の代わりみたいなもの。どんなにイライラしていても、拳を振り上げることなく、手帳に吐き出すと大体おさまったそうだ。
2010年から2014年の5年間の監督生活で、欠かせないアイテムだったようで「けっこう、たまりましたね。全部で13冊くらいはあるかな。1シーズンで2冊か3冊ぐらい」と話す。たまに読み返してみると「若いなって思うね」という。「なんでこんなことを書いたんだろう、どんなプレーだったかなって思ったりもする。スコアも書いていたから、ああ、ここで怒っていたんだとか、このプレーに※印をつけているなとか、ここが濃くなっているとか、なんとなく覚えているのもあるしね」と笑みを浮かべながら話した。
就任2年目に監督として変化「1年目は自分が表に出すぎていた」
親しい間柄で、日本代表を率いた森保一監督も試合中、ノートにその時の心情などを書き込んでいることが有名だが、野村氏はこの共通点について「それは偶然だろうね」とあっさり。
「そういう話を森保としたかどうかも覚えていないし、森保が何を書いているのかもわからないしね」とも付け加えたが、野村氏が、この怒りのはけ口のおかげで、何度も落ち着けたのは紛れもない事実。監督生活の証しでもある数々の手帳は今後にも生かせる貴重な財産ともいえそうだ。
実際、監督としても変化が起きていた。「1年目はマネージングを勘違いしてコーチの人たちよりも自分が表に出すぎていたけど、2年目からは担当コーチにもっと動いてもらうにはどうしたらいいかを考えるようになった。選手に関しても体調管理や本質を観察することに努めた……」。
チームも3年目くらいからだんだん変わってきた。選手も若手が伸びてきた。とりわけ2011年ドラフト2位の菊池涼介の能力には驚かされたという。(山口真司)
(※引用元 Full-Count)