【3000安打は達成できた前田智徳】
プロ入り6年目の1995年、前田智徳選手(元広島)は右足アキレス腱を断裂。それがなければ3000安打をマークしたのではないでしょうか。単純計算でシーズン170安打を10年間打てば1700安打、続けて130安打を10年で1300安打となり、計3000安打ですから。
ふつうの打者ならファウルになる内角の球を、前田選手はバットを巧みに操って一塁線フェアゾーンに入れていました。「その球をヒットにできるのか」と、驚きましたね。そういうスイングの軌道を持っていたのでしょうね。
イチロー選手や松井秀喜選手らも、その打撃技術には一目を置いていたと聞きました。それほど前田選手のバッティング技術は抜けていました。
右足をかばっているうちに左足も痛め、万全の状態でプレーできなくなってしまった。プロ2年目から4年連続ゴールデングラブ賞、3年連続2ケタ盗塁をマークしていただけに、まったくもって残念です。
【広角打法と長打力を兼備した吉村禎章】
私が審判員になった1985年に、吉村禎章選手(元巨人)は打率.328、16本塁打、56打点で、高卒4年目にして巨人のレギュラーとなりました。86年、87年とベストナインを受賞して、押しも押されもせぬセ・リーグを代表する打者に成長を遂げました。
吉村選手はバットコントロールがすばらしくて、どこにでも打ち分けられる打撃技術を持っていました。ツボにくれば一発もあり、広角打法と長打力を兼備した打者でしたね。
ただ88年に外野守備中に味方選手と激突して、左ヒザ靭帯を断裂しました。その後、長期離脱を余儀なくされましたが、89年の復帰戦、90年に吉村選手のサヨナラホームランでリーグ優勝を決めた試合は、今でも鮮烈に覚えています。どちらも試合も、たしか相手投手は川崎憲次郎選手(ヤクルト)でしたよね。
現役後半はおもに代打の切り札として活躍しましたが、通算17年間で964安打。ケガさえなければ2000安打は軽くクリアしていたのではないかと思います。
【インコースを右方向に打つ内川聖一】
内川聖一選手(元横浜ほか)は2008年に右打者として最高打率となる.378をマークし、セ・パ両リーグで首位打者に輝くなど、球史に残る好打者のひとりです。内川選手は内角球を打ちにいく時のバットの出(で)が印象深いバッターです。
バットのグリップから出ていって、最後の最後でヘッドが走るという感じです。なんと表現したらいいのかわからないのですが、俗に言う「インサイドアウト」の軌道で、その理想形だったと思います。
ほかの打者と比較してもヘッドの走りが滑らかでした。できるだけボールを体に近い部分に引きつけて、バットの芯に当てて右方向に持っていくのです。その技術力の高さには驚かされました。
【天性のホームランアーチスト・中村剛也】
中村剛也選手(西武)のバッティングは、ファンのみなさんがテレビや動画で見て感じるままだと思います。無駄な力がまったく入っていません。
一塁塁審で見ていても、絶対に体が前に突っ込まない。ボールがインパクトゾーンにきた瞬間、体をクルッと回転させて、軽く振って本塁打になります。中村選手のホームランは芸術的。まさに「アーチスト」ですね。
統一球問題に揺れた2011年、どの選手もホームラン数が減少するなか、中村選手はシーズン48本塁打を記録。この年ロッテのチーム本塁打が46本だったのですが、中村選手がいかに異次元だったかがわかります。
よくホームラン打者は「ボールの真ん中より数ミリ下にバットを入れて、逆スピンの回転をかけて飛ばす」という話を聞きますが、中村選手はそれを実践しているのかもしれないですね。間近で見ている球審でも、そこまではさすがに判断がつきませんが……。
【高卒1年目からモノが違った松井秀喜】
松井秀喜選手(元巨人ほか)はスイングスピードの速さとパンチ力がずば抜けていました。だから、打球も速く、遠くに飛びました。
今でも覚えているのがプロ初安打、1993年5月1日のヤクルト戦(東京ドーム)です。西村龍次投手からライトフェンス直撃の弾丸ライナーでのタイムリー二塁打でした。高卒1年目、まだ弱冠18歳なのに、外国人選手並みの打球スピードでした。
その試合、私は三塁塁審を務めていて、打球が外野に飛んだ時は二塁ベースカバーに走らなくてはいけないのですが、その打球のすごさに見とれてしまって、足が止まってしまいました。
松井選手のプロ初本塁打はその翌日ですよね。野村克也監督が高津臣吾投手に「試しに内角にストレートを投げてみろ」と言ったボールをホームラン。もうモノが違いましたね。
(※引用元 web Sportiva)