今季も多くの選手が現役生活に別れを告げた。その中からヤクルトのレジェンド・青木宣親、阪神・秋山拓巳、広島・野村祐輔の記憶に残る名場面をプレイバックしてみよう。【久保田龍雄/ライター】
史上初の2度目のシーズン200安打
まずは日米通算2730安打を記録したヤクルト・青木宣親から。ファンにとっては、NPB史上初の2度目のシーズン200安打を達成した2010年9月26日の中日戦が印象深いはずだ。
前日の巨人戦で2安打を記録し、2度目の大台にリーチをかけた青木は、1点を先行された直後の1回裏、雨が降りしきるなか、2ボールから中田賢一の3球目、145キロの内角高め速球を完璧にとらえ、右翼席にシーズン200安打目となる先頭打者同点ソロを放った。
「最高の形で達成できた。前回の200安打(2005年10月11日の横浜戦の初回、門倉健から右前安打で達成)と同じような球。あれをスタンドに持っていけたのは、成長の証かな」と振り返った青木だが、2対1とリードの3回直前に雨脚が強くなり、試合が33分中断。ベンチで待機中、周囲から「(ノーゲームで)打ち直しだな」と冷やかされ、青木自身も「正直あきらめていた。雨雲を動かすことはできないし、1年に“2回”200安打を打つのかなと思った」という。
だが、開幕から休まずフル出場を続けてきた頑張りに野球の神様が報いたのか、ギリギリのタイミングで試合再開。打ち直しではなく、“リーチ一発ツモ”で、NPB史上初の快挙が達成された。
「前より早く達成(前回より9試合早い136試合目)できたことがうれしい」と感激に浸った青木は、「今まで外食ばかりで、アスリートには良くない食事ばかりだったので、(妻への)ありがたみを感じている」と前年オフに結婚した佐知夫人への感謝の言葉も忘れなかった。
オリックス時代の1994年にシーズン210安打のNPB記録(当時)を樹立したイチローからも「打席に入ることの怖さを知ったうえでの200本なのだから、すごいことだよ」と祝福され、残り8試合でイチロー超えを目指した“ミスター安打製造機”は、惜しくも1本及ばなかったものの、自己最多のシーズン209安打を記録した。
高卒ルーキーで無四球完封を達成
前出の青木が2度目のシーズン200安打の快挙を達成した2週間前、高卒ルーキーでは球団初の無四球完封を達成したのが、阪神のドラフト4位ルーキー・秋山拓巳である。
1軍昇格後、2010年8月28日のヤクルト戦で5回を1失点に抑え、プロ初勝利を手にした秋山は、9月5日の広島戦でも2勝目を挙げ、いずれもチームの連敗ストッパーになった。
そして、チームが1分けを挟んで3連敗中の9月12日のヤクルト戦、秋山は本拠地・甲子園で初めてのマウンドに上がる。
1回表、先頭の青木にいきなり中前安打を浴びるが、「詰まっていたのでショックはなかった」と平常心を失わず、犠打で1死二塁となったあと、飯原誉士、ホワイトセルの3、4番をいずれも内野ゴロに打ち取り、無失点で切り抜けた。
その後も最速144キロの直球と変化球を低めに集め、スリーボールになったのは1度だけと抜群の制球力で、スコアボードにゼロを重ねていく。阪神OBの評論家・工藤一彦氏も「大ベテランが投げているようなマウンドさばきだった」(9月13日付・スポーツ報知)と評したほどの堂々たるピッチングだった。
打者としても、7回2死三塁、村中恭平の148キロを左前に運ぶダメ押しタイムリー。春夏連続で甲子園に出場した西条高時代に“伊予ゴジラ”の異名をとった強打者の片鱗をのぞかせた。
そして、5対0の9回も、1死後、エラーの走者を出したものの、飯原を二ゴロ併殺に打ち取り、4安打完封勝利。三たびチームの連敗ストッパーになった。
「プロでは初めての(甲子園の)マウンドだったのに、一番落ち着いて投げられた。声援が温かくて、本当に投げやすかったです」。
同年の阪神は、中日に1ゲーム差の2位でV逸となったが、9月に一時マジックが点灯するなど、シーズン終盤まで優勝争いを演じられたのは、離脱者が相次いだ先発陣の穴を埋め、8月下旬からの約3週間で4勝を挙げたルーキー右腕の働きなしには語れないだろう。
「次が大事。次がダメならダメ」と自らを鼓舞
広島が球団史上初のリーグ3連覇をはたしたときのエースとして、現役13年間で通算80勝を記録した野村祐輔が最も輝いたのは、2016年だった。
野村は前年、5勝8敗、防御率4.64と、プロ入り後4年間でワーストの成績に終わっていたが、16年はドジャースに移籍した前田健太に代わるエース候補と目されていた。
4月5日のヤクルト戦でシーズン初勝利を挙げた野村は、同12日の中日戦も7回1失点で2連勝と徐々に調子を上げていく。
そして、4月27日のヤクルト戦、3回までパーフェクトに抑えた野村は、「5回くらいから最後まで投げたいと思っていた」と4~6回に安打や四球の走者を許しながらも、低めを丁寧に突いて要所を締め、7、8回はいずれも3者凡退。捕手・石原慶幸の巧みなリードにも助けられ、8回まできれいにゼロを並べる。
8対0とリードした最終回も、1死から川端慎吾に四球、山田哲人に左前安打を許したものの、バレンティンを二飛、雄平を遊ゴロに打ち取り、129球で完封勝利。
プロ5年目の初完封に、野村は「最後までボールが生きていた。もっと早く(完封が)できれば良かったんですけどね。(前日通算2000安打達成の)新井(貴浩)さんに運気を貰いました」と喜びに浸りながらも、「次が大事。次がダメならダメ」と自らを鼓舞した。
5月下旬から先発8試合で8連勝するなど、16勝3敗、防御率2.71をマークし、初タイトルとなる最多勝利と最高勝率の二冠を獲得。チームの25年ぶりVに貢献した。
(※引用元 デイリー新潮)