首都圏でも屈指の進学校として知られる桐朋高校(東京・国立市)3年生の森井翔太郎選手が、米大リーグのアスレチックスとマイナー契約を結んだ。投手と内野手の二刀流を貫く18歳は日本のプロ野球(NPB)でもドラフト上位候補と前評判は高かった。そんな期待の高校生がNPBを経ずに直接、メジャー球団と契約するのは異例だ。
だが、本人は「前例は考えないタイプ。異例ということに特別な感情はない」とサラリと言ってのける。アスレチックスは日本のドラフト1位選手の契約上限額(1億円プラス出来高5000万円)を上回る150万ドル(契約時の日本円レートで約2億3300万円)を用意し、期待の大きさをうかがわせる。
森井選手はまず、競争が激しい厳しいマイナーリーグからのスタートとなり、メジャー入りが保証されているわけではない。それでもメジャーに挑戦する決断をした決め手は、母からの「自分が一番生きたいと思う人生を歩みなさい」という言葉だった。
東大合格者多数の進学校からメジャー挑戦
「(メジャー球団との契約は)小さいころからの夢で、うれしいです。4、5年後にはメジャーに上がって、投手で2桁勝利、打者では3割、30本を目標にしたい」
森井選手は2月12日、同高で開いた記者会見で決意を語った。
今後は3月上旬をめどに再渡米し、現地のスプリングキャンプに参加。その後は5月ごろからルーキーリーグに参加する予定だ。「今年はまずはアメリカの環境に慣れること」がテーマだという。
この日の会見には約70人の報道陣が駆けつけた。高い注目を集めた要因は、2024年度も東京大学に2桁の合格者を出す屈指の進学校から大学に進学せず、メジャーへ挑戦するということだけではない。
184センチ、89キロの恵まれた体格で、打者としては高校通算45本塁打、投手としては最速153キロという右投げ左打ちの「二刀流」。日本のプロ野球からドラフト上位で指名を受ける可能性があった。NPBでの活躍を期待されながらも、直接メジャーを目指すことを決めたからだ。
アリゾナのトレーニングで感じた課題とは
報道によれば、昨夏の西東京大会は日米14球団のスカウトや編成関係者が視察に訪れた。本人も夏ごろまでは日本のプロへ行くことや、米国の大学へ進むことも考えた。
しかし、最終的な目標は「最高峰の選手が集まるメジャーリーグ」とブレなかった。メジャーへたどり着くための最善ルートを考えた結果、早くから米国の生活や食事に慣れ、野球の実力も高められるマイナーからスタートすることを選んだ。
昨秋には渡米してキャンプ施設やメジャー、マイナーの試合を見学して決意を固め、NPB12球団には指名見送りを要望する文書を出した。渡米を見据えて、高校2年から本格的に英会話など勉強にも打ち込んできたという。高校での記者会見前日の2月10日まで、アリゾナの球団施設でトレーニングを積んでいた。
アリゾナでのトレーニングでは、周囲の選手と比べて体格差やパワーの違いに圧倒されたという。森井選手は、「打者としては(150キロを超える)95、96マイルの速い球にどうアジャストしていくか。投手で言えば、まずはフォームを固めること」と課題を挙げた。
筆者も記者会見ではいくつかの質問をした。特に気になった点が2つあった。一つはマイナーの環境に対する不安、もう一つはアスレチックスがどういう育成プランを提示しているかである。
なぜ厳しくてもマイナーから挑戦?
マイナーの環境は過酷と言われる。3A、2A、複数(ハイクラスやロークラス)の1A、ルーキーリーグにそれぞれチームがある巨大なピラミッドが形成されており、森井選手は底辺からはい上がっていかなくてはならない。
メジャーとは全く別の扱いで、24年開幕時における選手の平均年俸498万ドル(当時約7億6000万円)にはマイナーの選手は含まず、将来に支給される年金もメジャー在籍期間しか算入されない。
北中米や南米、東アジア、豪州などから多くの選手が集い、厳しいサバイバルレースの中で容赦なくふるいにかけられる。近年は選手育成のためにトレーニング施設は充実してきたが、遠征は長時間のバス移動なども強いられるため負担が大きい。
だが、マイナーを経験した日本人の元メジャーリーガーは、「日本では大変なことだと報道されるが、ほかの選手からすれば、マイナーの環境からはい上がるのがスタンダードだ」と話す。
比較の対象となるのが、日本のプロで活躍してからメジャーへ移籍するケースだ。この場合、最初から好待遇のメジャー契約を結び、専属通訳やトレーナーなども付く。日本のプロ野球は事実上、メジャーのマイナーに成り下がったという指摘はあるが、年俸も食事や体のケアなどを行う環境も3Aよりはるかに恵まれている。
こうした事情もあり、国内のアマチュアの有望選手もNPBで実績を残してから、フリーエージェントやポスティングシステムでメジャーへ挑戦するルートが確立されてきた。NPB→メジャーこそが、マイナーの過酷な環境を経ずにキャリアをつなぐことができる最適なルートともいえる。
また、メジャーの球団もかつては暗黙の“紳士協定”を遵守し、NPBが獲得を目指す選手には手を出さなかった。
高校卒業したら「直メジャー」が当たり前に
一方、マイナーからはい上がるには、野球の実力に加え、通訳なしで言葉の壁に挑むほか、他の選手とルームシェアをするなどかなりの節約をしなければならない生活環境に慣れる必要もある。
実際、NPBを経験せずに海を渡った日本人選手の成功事例は少ない。過去に120人ほどいるが、メジャーまで昇格できたのは、日本の高校を中退して渡米したマック鈴木氏、立教大出身でNPB球団のドラフト1位候補だった多田野数人氏、同じくドラフト上位候補ながらNPBに指名の断りを入れてレッドソックスとメジャー契約を結んだ田澤純一氏の3人だけだ。
しかし、高校生の目標には近年、明らかな変化が出てきている。
岩手・花巻東時代の菊池雄星投手(エンゼルス)や大谷翔平選手(ドジャース)は最終的にNPBを経由してメジャーへ移籍したものの、高校卒業時にも森井選手のように「直メジャー」の挑戦を模索した。メジャーが最終目標の中学生が北米の高校へ進学するケースも耳にする。
また、大谷選手らの後輩で23年のドラフト1位候補といわれた佐々木麟太郎選手はプロ志望届を提出することなく、米スタンフォード大へ進学して野球を続ける。森井選手の「直メジャー」の挑戦も、いまは異例でも将来的には当たり前の選択肢にもなるとみたほうがいい。
筆者の質問に対する森井選手のコメントにも驚かされた。
メジャーとの心理的な距離が縮まる
アスレチックスは育成プランについては、チームに二刀流の選手がいないということもあって、「育成プランは特に示してもらっていない」と明かした。森井選手はマイナーの環境に対して「期待も不安もありません。ある環境でやるだけです」と語り、厳しい環境を乗り越えて日本の高校からメジャーへ昇格する新たな歴史を作ろうというモチベーションが強いかという問いかけにも、「歴史を作ってやろうというよりは、自分が挑戦したいことをやりたいと思ったことが大きいです」と答えた。
「NPBより優れたメジャーの育成システム」「直メジャーという歴史的な挑戦への意義」といったステレオタイプのコメントを期待したことが恥ずかしいくらい、メジャー挑戦が当たり前の選択肢として目前にあったことがうかがえた。
会見に同席した田中隆文監督も「最初はびっくりしましたが、話を聞くと、元々からそういう(直接メジャーへ挑戦する)考えを持っていたということなのでした。野球だけではなく、いろいろなスポーツにおいて、海外で活躍している選手が多くなっていて、(海外挑戦も)昔よりは近くなっている。あとは飛び込む勇気があるか、だと思います」と語っていた。
実際、森井選手らの年代にとっては、日本人選手のメジャー移籍は珍しくなく、メジャーとの心理的な距離は縮まっているともいえる。
日本人メジャーリーガーの出場する試合がスポーツニュースで大々的に報じられ、大谷翔平選手らが多くのCMに出演する。街中にもMLB球団のロゴ入りキャップやアパレルがあふれる。
森井選手の場合には、祖父がメジャーリーグ中継をよく観ていた環境で育ち、小学校時代は、当時はメジャーでプレーしていた元ヤクルトの青木宣親選手が野球教室でスイングを披露する姿に魅了された。会見では、メディアのお決まりの質問である「将来、対戦したい選手」にも、投打それぞれの立場から現役メジャーリーガーの名前を挙げていた。
メジャーが単なるあこがれではないことも、獲得に名乗りを上げた9球団の中からアスレチックスを選んだ理由に反映される。
なぜアスレチックスなのか
チームはメジャーの中でも低予算の編成で有名だが、その分だけ若手の起用に積極的という面も大きかった。森井選手も「4、5年でのメジャー昇格」という目標の実現に向けて、「二刀流をすごく高く評価をしていただいたことと、若手の選手をどんどん使っていく方針があり、自分にもチャンスがあるかなと強く感じた。最終的にはそういう面が大きかったと思います」と説明した。
一方、NPBは日本国内でのビジネス面でもメジャーに劣勢に立たされているが、有効な手立ては打てていない。田澤氏が08年にメジャー挑戦を表明した際、ドラフト指名を拒否して海外に渡った選手は帰国後、一定期間は契約できない「田澤ルール」を12球団で申し合わせたことがあった。結局、公正取引委員会から独占禁止法違反の疑いを指摘されて20年に撤廃されている。
そもそも、日本のアマチュア選手に規制を設けて縛るような強行的な姿勢は反発を招きかねない。先述の通り、NPBはマイナーより環境も待遇も恵まれている。しかし、こうした利点が、「世界最高峰」というメジャーのブランド力を前に通用しなくなっている現実を見せつけられている。
(※引用元 JB PRESS)