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没後8年…鉄人「衣笠祥雄」はなぜカープの監督になれなかったのか?

2026年5月7日

没後8年…鉄人「衣笠祥雄」はなぜカープの監督になれなかったのか?

プロ野球12球団で一軍の監督になれる人は、ほんの一握りだ。現役時代に輝かしい成績を残したからといって就任が保証されるものではない。故・衣笠祥雄氏(享年71)も選手としての実績は抜群ながら、ついに監督に縁がなかった一人であった。連続試合出場の世界記録(当時)を打ち立て、プロ野球界2人目となる国民栄誉賞を受賞した広島カープの英雄は、なぜ古巣の指揮官になれなかったのか。8年前、2018年4月23日に衣笠氏が没した際、スポーツジャーナリストの吉見健明氏は、自らのスポニチ記者時代の取材を基にその理由を考察している。以下、それを再録し、故人の生きざまを追憶してみよう。

古葉竹識氏の追悼

鉄人が逝った。4月23日夜、元広島東洋カープの衣笠祥雄が上行結腸がんのため71歳で亡くなった。

「あまりにも早すぎる。私より先に逝くとは信じられない。残念だ。サチ(衣笠)は監督ができる男だった。指導者としての姿を見たかった。必ずやると思っていたのに!」

そんな言葉で死を悼んだのは、1975年から85年まで監督としてカープを率い、黄金時代を築き上げた名将・古葉竹識氏だ。

訃報を知り「号泣した」という古葉氏は、涙をこらえながら言葉を詰まらせた。現在の古葉氏は東京国際大学の名誉監督を務めているが、数年前に筆者が訪ねた際にも、衣笠に関してこんなことを語っていた。

「サチは(山本)浩二と並んで広島カープの存在感を高めてくれた貴重な人間です。広島はぜひサチにも監督をさせてやってほしい」

ヤンチャな暴れん坊

衣笠の偉大な功績に多くの説明は不要だろう。通算2543安打、504本塁打はもとより、当時の世界記録となった2215試合連続出場は日本中の称賛を集め、野球界では王貞治氏に続く国民栄誉賞(1987年)も授与されている。

不屈の精神力を物語る“鉄人エピソード”は枚挙に暇(いとま)がない。骨折でドクターストップがかかっても監督室に乗り込んで「試合に出してください」と直訴するなど、肉体も精神力も鋼のように強い男だった。

そんなカープ生え抜きのレジェンドである衣笠の背番号「3」は山本浩二の「8」と共にチームの永久欠番となっている。しかし、浩二が2度もカープの監督を務めたのに対し、衣笠は監督どころかコーチにすら就任しておらず、ついに引退後にユニホームを着ることはなかった。

古葉氏のように、カープの監督就任を望む声は至る所から聞こえていたにもかかわらず、である。

現役時代の衣笠は、デッドボールを受けても相手投手を気遣う素振りを見せる温厚な紳士として知られるが、実は新人時代は「ヤンチャな暴れん坊」だった。

京都・平安高校から65年にカープに入団した衣笠は、小柄な体格ながら頑強な身体とフルスイングを武器に3年目でレギュラーに定着しているが、入団時に契約金をつぎ込んで巨大なアメ車・フォードを購入するなど生意気な新人でもあった。貧乏な地方球団にすぎなかった広島で、フロントの忠告も無視して派手なアメ車を乗り回す衣笠がどんな目で見られていたかは想像できるだろう。しかも、衣笠はこの車で何度も事故を起こし、最後には免許を剥奪されているのだ。

酒も大好きで、若い頃から門限破りの常習犯だった。もっとも、朝まで浴びるほど飲みながら翌日の試合では結果を残し、連続試合出場も続けている。その点では一流のプロフェッショナルだったともいえるのだが、実はこの頃の奔放な言動が、後になって監督就任の障害になったという指摘は根強い。

フロントとの確執

暴れん坊だった衣笠をレギュラーに起用したのがカープの監督だった根本陸夫氏(故人)だ。後に西武やダイエーのGM的存在として活躍し「球界の寝業師」の異名を取った。根本氏は生前、引退後の衣笠の生きざまについて筆者にこう語っていた。

「タイミング的にキヌにチャンスがなかったことは事実だ。若い頃の振る舞いが問題視された部分もあるだろう。ただ、本人に指導者としてやる意思がなかったとも聞いている。それが生きざまなんだろう。俺は、それはそれでキヌらしくていいと思っているよ」

確かに運はなかった。衣笠の引退は87年だが、前年には浩二が引退しており、球団が地元出身でもある浩二の監督就任を優先したのは仕方ないことだった。

また、衣笠と広島フロントとの間にある種の確執があったことも事実だろう。

先代の松田耕平オーナーに可愛がられていた衣笠を、後継の長男で現在の松田元オーナーが疎んじたともいわれている。引退後も球団が用意した地元テレビ局の解説者を断り、TBS解説者になったことも関係をこじらせた。

しかし、だからといって球団が衣笠を無視し続けていたわけではない。少なくとも将来的な監督就任を含んだ指導者としてのオファーが何度も行われていたことは間違いない。

だが、衣笠はそれでも首を縦にふらず、要請を断り続けたのだ。

「世渡りのうまい人もいれば、得意じゃない人も…」

なぜ頑なに指導者の道を拒んだのか、本人はその理由について多くを語ることはなかった。国民栄誉賞に傷をつけられないというプレッシャーがあったともいわれるが、それだけが理由とも思えない。

評論家時代の衣笠と焼肉屋で偶然に会った際、「なぜユニホームを着ないのか」と聞いたことがある。

「人には色々な人間関係があります。世渡りのうまい人がいれば、得意じゃない人もいる。ユニホームうんぬんは自分がしゃかりきになってどうこうできる問題じゃない。それに色々な方との出会いの中で知ったのは、自分が監督の器ではないということ。これは本人が一番よく分かっているんです」

柔らかい笑顔と屈託のない話しぶりは、現役時代と変わらぬものだった。自らを「器でない」と戒める哲学的ともいえる生きざまは、いかにも衣笠らしいが、それでも、「監督をやりたくない」というわけではなかったはずだ。

実は、前述の根本氏はこうも語っていた。

「衣笠はハーフだったゆえに差別との壮絶な戦いを経験しなければならなかった。人とは違うというコンプレックスが監督の道をためらわせたのではないか。そう思えてならない」

苦労したからこそ、他人の痛みを人一倍感じることができる優しい男だったが、そんな“優しすぎる自覚”が指導者の道へ進むことをためらわせたのではないか。

この言葉が強く印象に残っているのは、筆者自身が繊細で優しい衣笠の心を傷つけてしまった1人だという自覚があるからだ。

(※引用元 デイリー新潮

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