広島の4番・鈴木誠也から私の携帯電話に着信があった。
巨人の二軍打撃コーチだった2018年、シーズンの終わり頃である。打率・320、30本塁打、94打点の好成績を残した年。ところが、誠也は電話口でこう言った。
「バッティングフォームを変えようと思っているんです」
私は驚いた。
「3割打っているのに変える必要なんてないんじゃないか?シーズンが終わってから秋のキャンプで課題として取り組めばいいんじゃないか?」
シーズン中に微調整はしても、普通は大きく変えることはまずない。ましてや結果も出ている。しかし、同時に頼もしさとうれしさを感じた。広島と巨人に分かれていたが、そういう会話ができるのはコーチ冥利に尽きる。選手とコーチという間柄でなくなってもつながりが切れない。そんな付き合いができるコーチになりたいと思っていたからだ。
翌19年は打率・335で首位打者に輝いた。人並み外れた向上心が自身初の打撃タイトルにつながった。
負けん気が強い性格だ。誠也が1年目の13年、私は広島の二軍監督だった。入団当初、「甲子園組には負けたくない」と対抗心をむき出しにして練習をしていたのを思い出す。
甲子園組には、同期のドラフト1位・高橋大樹がいた。龍谷大平安高で甲子園に出場し、大谷翔平や藤浪晋太郎らとU18の日本代表でも中軸を任された。一方で二松学舎大付高出身の誠也は甲子園に出ていない。
■「2位で取れるなんてラッキーですよ」
この頃、他球団の関係者によくこう言われた。
「2位で取れるなんてラッキーですよ」
巨人なども誠也を上位候補にしていた。中には外れ1位候補にしていた球団もあったそうだ。
高校時代はエースで外野も守った。広島は次世代の大型遊撃手を探していた。肩は強いし、脚力もある。球団方針で「外野はいつでもできる。最初はショートを守らせよう」と決まった。「二軍の試合は負けてもいい。何とか誠也をショートで使えるように鍛えよう」と1年目の二軍戦は主に遊撃で起用した。
内野手のサインプレーは複雑だ。1つのアウトを取るために、外野手より神経を使う。内野手の野球観を学んで欲しかった。いずれ外野に転向するにしても、内野で感じたことが将来生きてくるだろう。遊撃手出身の野村謙二郎一軍監督も同じ考えだった。
だが、いざ試合が始まると、それどころではなかった。エラーや暴投が重なり、サインプレーであたふたしていた。本人も悩んでいるようだった。
このままでは打撃に影響してしまう。高校時代に経験のある外野なら、すぐにモノになる。1年目の途中から外野の練習も取り入れるようにして2年目には転向。そんな誠也の右翼からのバックホームの送球に、私は度肝を抜かれた。(内田順三/前巨人巡回打撃コーチ)
(※引用元 日刊ゲンダイ)