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正田耕三は、V旅行先ハワイの『ゴルフ場』にもバットを持ち込んだ!

2020年3月5日

正田耕三は、V旅行先ハワイの『ゴルフ場』にもバットを持ち込んだ!

1985年シーズン終盤、私とマンツーマンで密かにスイッチヒッターの特訓を積んできた正田耕三が、ついに実戦で「左打席」をお披露目することになった。

以前、言ったことをすっかり忘れていた古葉竹識監督は「な、なんで左?」と驚いていたが、腕試しとして中日の剛速球投手・小松辰雄と対戦させた。

正田は粘った末、レフトライナーを放った。古葉監督は「これは面白い。いけるんじゃないか」と太鼓判を押してくれたことで、秋季練習から晴れてグラウンドでスイッチヒッターの練習ができるようになった。割合は左8、右2。翌86年のシーズンからはある程度スタメンで出られるようになり、90試合に出場した。

その年、リーグ優勝を果たし、V旅行先のハワイで驚いた。ゴルフコンペに参加した正田が、ゴルフバッグにバットを2本忍ばせてきたのだ。スイッチヒッターに挑戦する際、「バットを抱いて寝るぐらいじゃないと成功しないぞ」とは言った。それでも普通、ゴルフ場にバットは持ち込まない。ましてやハワイに、である。「空いた時間に素振りがしたかった」と正田。スイッチヒッターとして成功したいという執念を感じた。

87年はつなぎの2番打者として29犠打をマーク。最終戦の最終打席で、武器にしていたセーフティーバントを決め、打率・333で巨人の篠塚利夫(現・和典)と首位打者のタイトルを分け合った。本塁打ゼロの首位打者は2リーグ制となって初、そしてスイッチヒッターの首位打者はプロ野球で初めての快挙だった。

1番を務めた翌88年には打率・340。2年連続で今度は単独で首位打者に輝いた。続く89年は首位打者こそ逃したものの、最終戦でプロ野球タイ記録の1試合6盗塁を決めて自己最多の34盗塁で初の盗塁王。守っても87年から二塁手で5年連続ゴールデングラブ賞を取るなど、走攻守でチームを支え続けた。

当初、私は正田に打撃センスを感じなかった。これを自覚していた正田は、「何とか成功したい」との一心で食らいついてきた。

■この成功体験のおかげで後に巨人から声

不器用だった男が一流になっていく姿は、指導者として駆け出しだった私にとっても成功体験となり、大きな自信になった。正田が成功したおかげで私の指導者人生もつながっていく。その後、何の縁もない巨人に声をかけてもらい、広島と行ったり来たりしながら、ユニホームを脱ぐことなく、37年間もコーチを続けることができた。今でも「高橋由伸や阿部慎之助を育てた」などと言ってもらえるが、コーチの名を上げるのは選手。コーチは選手に生かされるものなのだ。

一度は戦力外になったところから復活を果たした嶋重宣も、思い出深い選手である。(内田順三/前巨人巡回打撃コーチ)

(※引用元 日刊ゲンダイ

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