『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)がベストセラーとなったのは2012年のことだから、それから時は流れ、時代は変わっているのかもしれない。今は置かれた場所で咲くことよりも、むしろ自分を咲かせやすい場所を探すことが推奨される時代になったようにも感じる。
ただ、置かれた場所で咲こうとする努力は、今も変わらないのではないだろうか。
3カ月遅れの開幕から1カ月半が経ったプロ野球では、2016年から’18年まで3連覇した広島が最下位に低迷。なかなか停滞を打ち破れずにいる。苦しい戦い、苦しい状況の時こそ、それぞれが置かれた場所で咲こうとすることが求められるのではないか。
プロ10年目の磯村嘉孝はまさにそんな選手だ。
下からの突き上げにも動じず
中京大中京高校2年時に、現在もチームメートの堂林翔太とバッテリーを組み、全国優勝を成し遂げた。’10年のドラフト5位で広島に入団した当時は正捕手・石原慶幸と、一軍で頭角を現しつつあった4学年上の會澤翼がいた。出場試合数を見ると、プロ初出場を果たした’12年は1試合、’13年は4試合、’15年は1試合と、目指した山の頂が高かった。
一軍に定着したのは24試合に出場した’16年。ただ、同年秋のドラフトでチームは坂倉将吾を指名すると、翌’17年ドラフトでは中村奨成をドラフト1位指名した。坂倉は高卒1年目から一軍昇格、中村は甲子園で清原和博が持つ1大会の最多本塁打を更新したスター球児。有望な逸材が新たなライバル候補として加わった。
そして今季、その中村が初めて一軍に昇格。磯村にとっては、上には正捕手として君臨する會澤がいて、下からの突き上げもある。広島の激しい捕手争いはしばらく続いていくことになるだろう。
「若い選手も育っているし、この世界、しょうがない、そう割り切ってやるしかない。周囲が思っているほど悔しさはないかもしれない」
大きな注目を集める後輩の存在にも、こちらが想像していた焦りや強い危機感は感じられない。決して強がりではない。それが磯村の人としての魅力であり器。プロとしては弱みかもしれないが、ここまで生き抜いてきた幹となる芯の強さかもしれない。
「どこであっても試合に出たところで結果を出さなければいけない。昨年の場合は代打で使ってもらっていたので、代打で結果を残そうと。それだけです」
捕手の「便利屋」なのかもしれない
気付けば、広島の3番手捕手のポジションにいた。正捕手の會澤とベテラン石原を支えてきた。
’19年は代打の切り札として起用され、代打成功率3割2分3厘の好成績を残した。限られたベンチ入りメンバーでチーム力を最大限にするために、野手や中継ぎには「便利屋」と呼ばれる選手がいる。磯村は捕手の「便利屋」なのかもしれない。
3番手捕手を務める中で、ただ指をくわえて出番を待っていたわけではない。少しでも実戦勘を鈍らせないために、先発捕手が防具をつける間の投球練習を捕手用具フル装備で受けてきた。
徐々に存在感を示している今季もそうだ。開幕二軍スタートから、7月15日に一軍昇格。当初は3番手捕手だったが、代打を経て、徐々にマスクを被る機会を増やした。22日の阪神戦では同じように開幕後、二軍調整を続けてきた野村祐輔とのバッテリーで今季初のスタメンマスクを被った。
試合終盤にリリーフが打たれてチームは引き分けに終わったものの、野村の6回1失点の好投を引き出した。
「一軍で経験のある投手なので、打者中心に配球を考えられた」
メモを欠かさず、野村をリード
打者の反応を見られる場所は、バッターボックスの後ろだけではない。磯村は出場機会が限られていた初の一軍昇格以降、ベンチにいてもノートにメモを書き留めてきた。打者の初球と勝負球、打席での印象……スタメンマスクを被るときには、受ける投手の前回登板だけでなく、対戦相手のチャートも自宅に持ち帰った。
野村と2度目のバッテリーを組んだ29日の中日戦は、球場のスピードガンでは140kmにも満たなかった技巧派をリード。野村に勝利を届け、磯村自身にとっても今季初の勝利捕手となった。
「祐輔さんの状態がいい。コントロールが良く、投げミスが少ない。あれだけコントロールがいいので、球で勝負するというよりも、読み合い勝負になる」
若い投手とバッテリーを組んでいた昨年までとは違い、実績ある野村とのバッテリーでは、蓄積している相手打者目線で配球できる。野村-磯村のバッテリーは2試合、14回で9安打1失点、防御率0.64と安定している。
与えられた場所で咲こうとする心、行動が便利屋捕手としての安定感となっている。
「鈍感だからですかね」
「鈍感だからですかね。あまり気にしないです。そういうことを難しいと思ったこともない。ただ結果を残すしかない。不安もありますけど、やれることは限られている。それをやるだけ」
チームは開幕から苦しい戦いが続く。3連覇したチームを知る選手からすると戸惑いすら感じるほどの苦境も、「僕は逆にプラスに捉えています。3連覇した年は勝って当たり前だった中で試合に出ていたので、負ければ目立っていた。でも今は勝てば目立てる」と前を向く。
高校時代に日本一を経験したエリート捕手は、プロではどんな環境にも対応する強さを身につけた。立場や境遇は気にしない。ただ、置かれた場所で咲こうとする。そこだけに集中することができる。
「高校時代に誇りはあっても、そこに対するプライドや自負はそこまでない。だってプロには甲子園の出場に関係なく、すごい選手がいっぱいいる。今、この世界で自信をつけるためには、今の世界で結果を残すしかありませんから」
厳しい環境に耐え抜いたつぼみはきっと、きれいな花を咲かせるに違いない。
(※引用元 Number Web)