
これまで何人もの名投手を生み出してきた球団、広島東洋カープ。その中には、長い歴史の中で「たった一人」しか達成していない大記録を持つ投手が存在する。その選手の名は、外木場義郎。一体どんな記録を持っているのか。『カープ不朽のエース物語』(迫 勝則著、南々社)から一部抜粋し、お届けする。
そのいきさつがどうであれ、あのとき口にした「もう1回」のときがやってきた。それは、68年9月14日の大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)戦だった。この試合は、少し前までの雨天の影響でグラウンドが軟弱だった。また降雨の心配もあったので観客の入りも悪く、わずか4000人。外木場はこう語る。
「雨上がりで湿気があるからボールに指がよくかかる。捕手の田中尊さんの構えたところに球がバンバンと行くので、打たれる気がしなかった」
どこか消化試合のようになりかけていた試合が、徐々に雰囲気を変えはじめた。相手ベンチの別当薫監督の言葉である。
「早い回から気配を感じた。選手には“楽にいけ”と声をかけたのだが……」
まともにバットにボールを当てたのは、当時のホエールズの主砲・松原誠の左翼へのハーフライナーだけだったかもしれない。8回が終わってパーフェクトピッチの13奪三振。周囲の重苦しい空気を吹き払うように、9回の外木場は「3人とも三振に獲る」と予告して、マウンドに上がった。そしてその言葉どおり、3者連続三振。彼はこう語る。
「3人とも真ん中から上の球に全部空振り三振。緊張して守っている人たちに迷惑をかけないよう、あそこに力いっぱい投げ込めば、まず打たれないと思って……」
佐々木朗希が塗り替えるまで、50年以上破られなかった「記録」
彼はこのとき同時に、当時のリーグタイ記録となる16三振を奪った。こうして史上10人目となる完全試合(2-0)を達成した。ただその後、完全試合での奪三振記録は、2022年に当時ロッテの佐々木朗希(19奪三振)に抜かれた。
この試合の外木場の投球内容である。もちろん完全試合のためには、27人を連続してアウトにする必要がある。その内訳は奪三振16、外野フライ3、外野ファウルフライ1、内野ゴロ7だった。やっぱり凄かったのは、22年の佐々木朗希と同じような“奪三振ショー”だった。
解説するまでもないが、約60%の奪三振というのは、3人が打席に立った場合、約2人を三振に仕留めるということである。これを9回まで続けたので、プロ同士なのにまるで“大人と子どもの野球”のように見えた。もちろんこれだけ三振を奪うためには、1人当たり3球以上を投げないといけない。従って球数もかさむ。しかしそれでも、外木場はこの試合をたったの114球で投げ抜いた。因みに、その114球を単純に9回で平均してみると、彼は毎回、わずか12球で3人をアウトにしたことになる。
外木場の打者をねじ伏せる剛球伝説は、まだここでは終わらなかった。その3回目は、まだ彼がピークを迎える前の1972年4月29日の巨人戦だった。この試合。自ら「球の力はさほどではなかった」と語った外木場は、サラリと3度目のノーヒットノーラン(3-0)をやってのける。
この試合でも、当時あまり語られなかった人知れぬエピソードが残っている。
プロ野球で「たった一人」だけが達成している記録
それはパーフェクトを続けていた7回2死を奪ってからのことだった。打席に若き主砲・王貞治を迎えた。以下は、外木場の話である。
「王さんのあの打席では、決めにいったカーブがいいコースにいった。フツーの打者ならストライクと言ってもらえたかもしれない。王さんも手が出なかったように見えた」
ところが球審の判定はボール。これが当時、球界で囁かれていた“王ボール”なのか。球審は「あの王が振らないのだから……」。この判定によるたった一つの与四球のため、外木場は2度目の完全試合を逃した。試合後、王が白旗を揚げた言葉も残っている。
「球に勢いがあり、とてもかなわなかった」
カープファンなら覚えておこう。90年に及ぶ日本のプロ野球史で3度のノーヒットノーラン(完全試合含む)を達成したのは、無数にいたプロ野球の投手のなかで、沢村栄治(巨人)と外木場の2人だけである。しかもカープファンの視点から付け加えると、沢村は一度も完全試合を達成したことがない。
そうなると、日本球界で最高の投手は、この観点から書けば、外木場だったということになる。この辺りが外木場の話になると、なぜかドラマチックに“伝説”という史観的な言葉が付け加えられる所以になっている。
(※引用元 文春オンライン)