「ニホンゴ、ワスレテナイデスヨ」
そう笑顔で話してくれたのは、2015年にドミニカのカープアカデミーから練習生として広島東洋カープに加入し、育成契約を経て2021年までカープでプレーしたアレハンドロ・メヒア。積極的に日本の野球や言葉を吸収してきた努力家に、野球人生を変えたNPBでの恩人や日本野球の強さを語ってもらった。
メヒアは2013年にドミニカにある育成組織・カープアカデミーに入ると、2015年に練習生として来日。2017年には育成から支配下登録を勝ち取った。2018年にはカープの3連覇に貢献し、日本シリーズにも出場したが、2021年シーズン限りでカープを退団。NPB通算5年で142試合12本塁打、打率2割3分7厘と、成績は大成功とはならなかったが、マジメに野球に取り組み、チームメイトと日本語で和気あいあいとコミュニケーションを取るドミニカンはチームに欠かせない存在だった。
「広島での経験は自分の野球人生にとってとても素晴らしいものでした。広島が終わった後は、ドミニカのウインターリーグに参加しました。そのあとメキシコからオファーが来て、1年間メキシコでプレーしていました。メキシコのレベルも上がっていて、アメリカでなかなか活躍できなかった選手や、有名な選手でもチャンスがなかった選手が参加しているので、本当にハイレベルなところで野球をやることができました」
母国のドミニカ共和国は、WBCの優勝候補とされながらも1次リーグ敗退。しかし、改めて野球の持つパワー、日本野球の底力を感じたと言う。
「WBCはドミニカでも初めてあんなに盛り上がりましたね。国際的にも、今回の大会が一番盛り上がったと思います。各国ハイレベルな選手が出ていましたが、もっといい選手がいたのに集められなかった。その点、日本は各ポジション本当に素晴らしい選手が集結していて、選手のレベルもチームのバランスも1番良かったですね。
特に日本と他の国の何が違うかと言うと、最後まで諦めないことだと感じました。プレーしているのは人間ですから、どのチームもミスをして負けることはありますが、日本の場合はより国を背負って、強い気持ちを持ってプレーしていました。その気持ちやプレーは誰が見ても伝わりましたし、世界一の素晴らしいチームだと世界中がわかったと思います。次のWBCに向けて、各国の選手がよりレベルを上げてくるんじゃないかなと思いました」
出場は叶わなかったが、WBC日本代表に選出されていた鈴木誠也とは、現在も連絡を取る間柄で、WBC後も連絡を取り合ったそう。カープ時代の思い出をこう語る。
「カープは強いチームで、チームメイトともすごく仲良かったですね。誠也とは自分が1歳年上ですが、誠也は長年日本の中心として活躍している選手なので、リスペクトしていました。バッティングや色々なアドバイスをもらいましたし、菊池(涼介)からは守備についてたくさんのことを教えてもらいました。日本に来た時は守備があまり良くなかったけれど、彼のおかげで上達しました」
実績のある好待遇の助っ人外国人としてではなく、通訳もいない育成契約からのスタート。二軍で日本人の若手と一緒に泥だらけになり、日本語で積極的にコミュニケーションを取って学びながら一軍レギュラーまで這い上がってきたメヒア。技術もメンタルもNPBで磨きをかけてきた。そんな彼には、野球人生を今でも支える忘れられないNPBでのエピソードがある。
「NPBで特に印象に残っている選手は、当時のチームメイトだった丸(佳浩)ですね。野球選手としても、人間として素晴らしい。今でもはっきり覚えているのが、自分が2年目だった時に、『野球は簡単なスポーツではない。むしろネガティブなことの方が多い。700回は失敗して、300回成功すればいい。700回失敗するためには、フィジカルもメンタルも強くなければいけない。うつむく必要はないし、次に生かしていけばいい』そう声をかけてくれたことです。
実際に彼を見ていても、試合で結果を残せなかった時も、彼の力で勝った試合でも、ロッカールームで変わらない。いい時も悪い時も、態度を変えないんですよ。広島を退団した今でも、その時の言葉を持って野球をやっています。それが自分自身、野球を続けていく上で1番の強みだと思っています。丸には感謝しないといけないですね」
チームメイトとの絆に思いを馳せたメヒア。インタビュー中は常々「感謝」「アリガトウゴザイマシタ」と、謝意を口にしていた。努力家の助っ人の心には、常に日本で得た学びと感謝の想いがある。
(※引用元 CoCoKARA)