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坂倉が『日大三を選んだ』理由、甲子園は縁なかったが「一生の財産」

2023年8月8日

坂倉が『日大三を選んだ』理由、甲子園は縁なかったが「一生の財産」

8月6日に第105回全国高等学校野球選手権記念大会が始まった。西東京代表の日大三は大会4日目の第2試合で兵庫の社と対戦することが決まっている。2019年の12月、「『一生懸命』の教え方」(著者・小倉全由/日本実業出版社)を上梓するにあたって、小倉全由前監督に取材を行った。本記事では、同校のOBで現在は広島東洋カープで活躍している坂倉将吾について高校時代のエピソードを中心に記す。

今でも印象に残っている「中2の坂倉」

小倉氏は日大三の監督時代、今でも印象に残っていることがある。今から11年前の2012年12月、日大三の名物となっている冬の強化合宿の最中、グラウンドからレフト後方のネットに目を向けると学生服を着た少年とその父親らしき人の姿があった。

「おい、あそこから見ているのは坂倉じゃないのか?」

小倉氏は隣にいた三木有造部長(当時。現日大三監督)とそんな会話をしていた。この年の秋、小倉氏は中学2年生の坂倉と一度会って少し話をしていた。千葉の八千代中央シニアの試合を見たときに、捕手として肩が強く、シェアな打撃をする坂倉が印象強く残っていた。

引く手あまたの中、日大三を選ぶ

小倉氏は三木部長を通じて坂倉本人と彼のお父さんを呼び寄せると、日大三の合宿所内の食堂内でいろいろな話をした。すると最後に坂倉本人が、「来年、高校受験をするときには日大三を受けたいと思っています」と言ってくれた。

翌13年、中学3年生になった坂倉はさらに腕を磨き、チームとしてもシニアの全国大会で見事に優勝を果たし、彼の元には千葉県内外の30前後の高校から勧誘があった。だが坂倉は、「日大三で野球をやりますので」とすべての誘いを断り、小倉氏の下で高校生活を送ることを決意。初志貫徹を果たす。

小倉氏は坂倉が日大三を選んでくれた際の、当時の心境についてこう語る。

「甲子園で全国制覇を狙えるような強豪校からも誘いがあったと坂倉本人から聞きましたが、それも断ってウチに来てくれたんです。『野球だけでなく人間力も磨きたかった』と言ってくれて、その志の高さには本当に感心しましたよ」

「謙虚さ」が日大三の伝統に

坂倉は1年生のときから頭角を現した。持ち前の打力を生かすために外野手もこなし、この年の秋には4番に座り、翌年の新チームの秋から正捕手の座についた。

小倉氏が坂倉、とりわけ日大三の選手に教え続けたのは、「謙虚さを持つことの大切さ」だった。

「『野球がうまい』というだけで、一般生徒の前で大きな顔をするんじゃなくて、クラスメートとも仲良くするんだ。ここで培った人間関係はこの先一生続いていく。くだらない上下関係は一切ナシにして、先輩は後輩と仲良くやるんだぞ」

坂倉は小倉氏の教えを遵守した。野球も勉強も一生懸命取り組むのはもちろんのこと、決して天狗にならずに謙虚さを持ち続ける。そのことで学校全体で応援してくれる野球部を作っていくことを心掛けていた。小倉氏のこの考え方は日大三の伝統として、現在の三木監督にも受け継がれている。

甲子園には縁がない3年間だったが…

残念ながら坂倉は高校3年間で一度も甲子園に縁がなかった。夏に限って言えば1年生のときは西東京大会の準決勝で東海大菅生に6対12、2年生のときも準決勝で早稲田実業に0対2で敗退し、最後の夏の西東京大会も準決勝で東海大菅生に2対4で敗れた。

だが、坂倉は高校野球を終えた後、「甲子園には行けませんでしたが、日大三で野球ができたことは、人間関係も含めて一生の財産になりました」と小倉氏に感謝の気持ちを述べていた。

「1学年下に投手の櫻井(周斗・2017年ドラフト5位でDeNAに入団)がいましたし、甲子園を狙えたチームでしたけれども、残念ながら行けなかった。あと一歩のところで勝たせてあげられなかったのは私にも責任がありますが、それでも坂倉は三高に来たことを感謝してくれていた。指導者冥利に尽きる彼の言葉に私も彼に感謝していました」

小倉氏は当時の心境についてこう振り返った。

プロから注目されていた坂倉の進路は…

坂倉は高校時代、プロから注目され続けていた。強肩強打の捕手をプロ側が放っておくわけがない。特に熱心だったのが広島と中日だった。

「中日さんは『ドラフトでは4位で行きます』と言ってくれたんです。でも坂倉本人の性格やプレーぶりを考えると、中日さんよりも広島さんのほうが合うんじゃないかと思っていました。中日さんには申し訳ないのですが、『できれば広島が指名してくれ』と心の中で祈っていました」

その結果、広島が4位で坂倉を指名。晴れてプロ野球選手となった。

若手にベテランとライバルは多士済々

ドラフトで広島へのプロ入りを果たしたとき、小倉氏は坂倉にこう言った。

「プロは一生懸命やったからと言って、必ず報われるとは限らない厳しい世界なんだ。でもな、一生懸命やらないと道が開かれない世界であることも間違いない。プロ野球選手になったからと言って胡坐をかくことなく、これまで以上に真摯に野球に取り組むんだ。その姿を見て、『何とかモノにしてあげたい』とお前さんのことを応援してくれる人が必ず現れるはずだ」

2016年当時の広島は25年ぶりのリーグ優勝を果たし、會澤翼とベテランの石原慶幸が扇の要を担っていた。彼らを超えるには並大抵の努力では追いつき、追い越すことは難しい。そう考えての小倉氏の激励だった。

1年後の2017年のドラフト会議で、広島は広陵の捕手の中村奨成を1位指名した。坂倉と同じ捕手である。この年の夏の甲子園で、中村は清原和博の持つ1大会5本塁打の記録を打ち破る6本塁打の新記録を樹立。坂倉のポジション争いで最大のライバルになると見られていた。

教えが実を結び、広島の主力選手に

これからほどなくして、小倉氏は日大三のグラウンドにやってきた広島の苑田聡彦スカウト統括部長と話し、坂倉の現状を聞いた。すると苑田氏はこう話った。

「心配いりませんよ。彼はとにかく真面目で一生懸命野球に取り組んでくれています。投手ともよくコミュニケーションを取っているそうですし、コーチからチームで一番練習しているとも聞いている。ライバルとして誰が入団してきても、われわれは4~5年先にはカープの屋台骨を背負う選手になってくれると期待しているんです」

苑田氏の言葉通り、坂倉は妥協することなく努力し続けた。1年目から一軍で3試合に出場し、2年目以降も9試合、51試合、81試合、132試合と出場、22年シーズンは143試合全試合出場を果たした。そして今季は新井貴浩新監督の下、坂倉を「1年間、捕手として起用する」と宣言。阪神との熾烈な優勝争いに欠かせない選手となった。まさに小倉氏が教え続けた「一生懸命」が実を結んだ結果となった。

「ここから何年できるかは、彼のさらなる努力にかかっています。1年でも長くプレーして、記録にもファンの記憶にも残る選手になってもらいたいですね」

小倉氏は坂倉の成長に目を細めた。

小倉氏の教えを受けた坂倉がこれからプロ野球選手としてどれだけ飛躍していくのか、この先も注目していきたい。(小山宣宏)

 

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(※引用元 日刊SPA

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