ここ数年、ある意味オフの主役となっていたのは、斎藤佑樹(元日本ハム)ではないだろうか。甲子園と神宮を沸かせたスターも、プロでは3年目以降全く結果を残すことができず、それでも戦力外通告をしない球団に対する批判の声も多かった。そんな斎藤も2021年10月1日についに自ら引退を表明したが、その一方で目立つ成績を残していないにもかかわらず、契約を勝ち取り続けている選手も存在している。今回はそんな不思議と引退しない選手をピックアップし、現役であり続けられる理由を探ってみたい。(西尾典文)
19年目に突入
今回のようなテーマでもはや“殿堂入り”とも言える存在となっているのが、白浜裕太(広島)である。広陵高校では西村健太朗(元巨人)とバッテリーを組み、3年夏に甲子園で優勝。03年のドラフト1位で広島に入団している。
プロ入り後は長く二軍生活が続き、一軍初出場は8年目の2011年。プロ18年間での通算成績は86試合に出場して23安打、1本塁打であり、過去2年間は二軍で3打席ずつしか立っていないが、22年も現役続行が決まっている。
地元広島の有力校である広陵出身(白浜自体は大阪府出身)のドラフト1位選手ということを考えても、この数字で19年目に突入するというのは“前代未聞”である。
その理由として大きいのはやはり捕手という特殊なポジションで、大きな故障なくプレーし続けられているという点ではないだろうか。捕手は怪我がつきもののポジションで、19年には星孝典(西武)と鶴岡賢二郎(DeNA)が二軍の捕手不足のため、それぞれ二軍育成コーチやコーチ補佐から育成選手として登録された例もある。そんな中で何かあった時のためにしっかり守れる選手がいるというのは、ベンチとしてありがたいことは間違いないだろう。
また、広島の投手や捕手は全体的に若い選手が多く、そういった選手の“教育係”として期待されている部分も大きい。前述した通り二軍でも守備固めでの出場が大半のため、22年もその貴重な出場機会を目に焼き付けたい選手である。
バッテリー以外の全ポジション
白浜以外にも捕手は特殊なポジションのため、控えでも長く現役を続ける選手が多いが、今回はそれを割愛して、内外野を守ることができる熊代聖人(西武)を挙げたい。
今治西時代では3度甲子園に出場し、3年夏にはエースで4番としてチームのベスト8進出に大きく貢献。卒業後は社会人野球の日産自動車に進み、同チームの休部に伴って王子へ移籍した後、10年のドラフト6位で西武に入団した。1年目から外野のバックアップ要員として一軍の戦力となり、12年からは2年連続で100試合以上に出場。しかし、15年以降は出番が大きく減り、21年までの7年間に一軍で放ったヒットはわずか12本である。
この数字だけ見るといつ戦力外になってもおかしくない状況だが、大きな武器となっているのは、そのユーティリティさと言える。外野手登録だが、今年もバッテリー以外の全ポジションを守り、堅実なプレーを見せた。
昨年からのコロナ禍で故障以外でもレギュラーが突然離脱するケースも増えており、こうしたチーム事情も熊代にとっては“追い風”だ。熊代と同じユーティリティプレーヤーとしては、生え抜きではないものの、競争の激しい巨人に10年在籍する立岡宗一郎や、プレーだけではなくその明るいキャラクターでも存在感を見せている杉谷拳士(日本ハム)なども、同様の理由で生き残っている。
底はまだ見えていない
一方の投手では、ロッテから戦力外になりながらも中日に育成選手として移籍した大嶺祐太が目立つ。06年の高校生ドラフト1位でプロ入りし、09年には5勝、15年には8勝をマークしている。だが、故障が多く2019年オフには自由契約となり育成選手として再契約。翌年8月には支配下選手に復帰したが、21年オフに2度目の自由契約となった。
16年以降の6年間で一軍では4勝にとどまっており、現在33歳という年齢を考えると、育成契約とはいえ現役続行を勝ち取ったこと自体が驚きではあるが、その理由としては、やはりスケールの大きさが影響しているのではないか。高校時代から素材の良さに対する評価は高く、度重なる故障があっても150キロを超えるスピードをマークしており、選手としての底はまだ見えていない。このオフに引退した川原弘之が、プロ通算0勝ながら、12年間もソフトバンクに在籍できたのも同様の理由と言えるだろう。
プロの世界で激しい“生存競争”を生き延びている逞しき選手たち……プレーを見る機会は限られているが、その奮闘に期待したい。
(※引用元 デイリー新潮)