父親は気持ちで負けない子に育ってほしいと願い、息子は父の教えを信じて打席に立った。そんな少年時代が、この物語の第一章。その後に訪れる悲しみや悔しさを乗り越えながら、広島・中村健人外野手(25)は、逞しい精神力を身につけていくことになる。
野球を始めたときから続いた父と子のメンタルトレーニング
健人少年は、小学1年で野球を始めた。それから事ある度に、父・起章さんからメモを手渡される。その紙切れには毎回、試合で気持ちを強く保つための方法が書かれていた。
「準備を完璧にしておけば、メンタルをプラスにできるから」
「道具をキレイにしておくだけでもメンタルはプラスにできるよ」
「“自分は上手い”と言い聞かせれば、メンタルはプラスになる」
「自分で自分を罵倒してみるのもいい。“どうせダメだから、もう帰った方がいい”と考えてみたら、“そんなわけない!”と奮い立たせることもできる」
野球を始めたときから続いた父と子のメンタルトレーニング。こうして中村健は、小学生ながらにプラス思考で試合に臨む術を学んでいった。
高校生になると、メモ書きではなく一冊のスポーツ心理学の著書を手渡された。表紙には「メンタル・タフネス」と書かれていた。有名テニス選手のメンタル指導を行ってきた著者が書いた専門書。中学までは、父がこの本に書かれているテニスの例を野球に置き換え、数回のメモに分けて教えてくれていたのだ。「メンタルが強くなければ、高い技術を生かすことはできない」などと書かれているこの一冊を読み、前向きさは長所の一つにまでなった。
父と一緒に身につけたプラス思考は、心の支えにもなった。高3だった2015年秋、母・由樹さんが急性骨髄性白血病で倒れた。最期の別れが迫っていたとき、父に言った。「“亡くなりました”と言われるまでは諦めないでいようね。そのうち元気になるよ」。父から学んだプラス思考を忘れず、18歳ながらに毅然と振る舞った。
慶大のAO入試を受けたのは、母が亡くなった数日後だった。周囲に落ち込んだ様子を見せることなく、面接試験へと向かった。「結果はこれから残しても間に合う。お母さんには天国で喜んでもらえればいい」。そう心に誓って、プロ入りを目標に慶大へと進んだ。
「母にいい報告をしたいというのが一番の原動力です」
慶大では4番を任せられるまでに成長したものの、大卒でのプロ入りはかなわなかった。父に「大変申し訳ない」と頭を下げると、「社会人を経験してからプロに行けばいいだけじゃん」と父がプラス思考であることの大切さを改めて教えてくれた。
トヨタ自動車での1年目は出場機会に恵まれなくても諦めなかった。2年目に打撃が開花し、社会人屈指の名門でも4番を任された。そして、右の強打者を探していた広島に21年ドラフト3位で指名され、夢がかなった。
「母にいい報告をしたいというのが一番の原動力です。大学のときも母のために……と頑張ったし、大学でドラフトに指名漏れした悔しさはめちゃくちゃあった。社会人2年で絶対プロにいってやると思い、2年後のドラフトをずっとイメージしてきた。納得するまでやろうと、ひたすら練習に打ち込んできました」
プロに入ると、持ち前の明るさでチームに新しい風を吹かせている。試合中でもマウンドまで届くほどに声がよく通り、ベンチに戻ればムードメーカーを担う。中村健の活発さは、ナインに下を向く暇を与えず、チームを明るくすることに一役買っている。
ドラフト指名後には「(母への)お供えものを増やしていけるようにしたいです」と言った。マツダスタジアムでプロ初安打を打った試合後に佐々岡監督と撮影した記念写真は、母の遺影の前に飾られていると言う。初本塁打の記念球も実家に贈る予定だ。
「天国で喜んでもらおう」と誓ってから6年が経った。1年目からの活躍に喜んでいるどころではないだろう。天国で見守る母も、ナインも、コイ党も、みんなを笑顔にさせる陽気な声が今日もマツダスタジアムに響いている。(河合洋介)
(※引用元 文春オンライン)