米球界からおよそ2年半ぶりに日本球界に復帰した広島・秋山翔吾(34)は2軍戦で4試合の調整を経て佐々岡真司監督が宣言していた通り8日の中日戦(バンテリンドーム)から1軍に昇格した。そのまま同日の中日戦(バンテリンドーム)に「3番・左翼」で出場し4打数2安打1打点と新天地でいきなり打点をあげ、さらにデビュー3戦目の10日には右邪飛を捕球すると、本塁へダイレクト返球。タッチアップを狙った三塁走者を刺すレーザービームを披露し、攻守で実力を示した。
それにしても、秋山が本命視された古巣・西武の青いユニホームを纏わなかった理由はどこにあるのか。
巷間言われるのは「後輩のポジションを奪いたくなかったから」とか、「広島には侍ジャパンで一緒にプレーした菊池涼介や会沢翼がいたから」といった理由だ。しかし、「決断に至ったのはそれだけが理由ではない」とテレビ関係者は言い切る。
秋山が日本球界復帰を決断した際、最も早くアプローチして誠意を見せた格好の西武だが、直接交渉で提示したのは半分が過ぎた今季を含めた2年契約。「すでにソフトバンクが参戦を明言していた。3年以上の大型契約を提示するのは分かり切っていたのに、この条件提示は本気度が疑われる」と先のテレビ関係者は語る。
「6月22日の西武ホールディングス株主総会で『獲得することを心から期待している。将来の監督候補としてライオンズの優勝に導いてほしい。絶対にソフトバンクには獲られないで』などとする株主からの質問もあった。かつてのチームリーダーの復帰を望むファンの声は強く、格好だけは付けたということではないでしょうか。西武は秋山の復帰を本気で望んでいなかった可能性があります」(同前)
そして、秋山自身も周囲に「自分が西武に戻ることでよく思わない人がいる」と漏らすなど、古巣との「溝」の存在をにおわせていた。
「そこに至る因縁は4年前にさかのぼる」と話すのはスポーツ紙デスク。発端は2018年の日米野球だという。メンバーには秋山を含め、現在の西武を引っ張るパ・リーグ本塁打王の山川穂高(30)と正捕手の森友哉(26)も選出されていた。
「この大会で山川は19打数4安打と抑え込まれ、森は12打数4安打の打率.333と結果を残しましたが、捕手として代表クラスのボールをまともに捕れずじまい。2人とも国際試合に自信を無くしてしまった」(スポーツ紙デスク)
それでも、翌2019年に森はパ・リーグMVPに輝く活躍を果たし、山川も43本塁打で2年連続本塁打王を獲得。2人とも名実ともにこの年のトッププレーヤーとなった。その年の秋には国際大会プレミア12の第2回大会が開催。その4年前の前回大会では準決勝で韓国に敗れて3位に終わっており、日本代表にとっては是が非でも優勝したかった。
だが、「山川と森の選出は戦力の上でも必要だったが、コンディション不良を理由に辞退の連絡が来た。当時の首脳陣は困り果てたが、ケガでは仕方ないと受け入れた」と、日本代表関係者は当時を振り返る。
結局、西武からは秋山と源田壮亮(29)、外崎修汰(29)が選出され、大会に臨んだが、その陰で秋山が激怒する事態が起きていた。前出の代表関係者が明かす。
「大会を辞退した森が自分のインスタグラムに足を気にすることなくフルスイングする練習風景を撮影し『全力で練習頑張ってます』などとメッセージを入れた動画を投稿したんです。山川も一緒にケガを気にせずに練習する姿が映っていた。表向きはケガを理由にしていたが、彼らは実際には大会に出たくなかったという可能性が高い。その投稿を見た一部の代表選手は『何、これ。ケガしたんじゃなかったの?』と不快感をあらわにし、代表への思い入れの強かった秋山は大会後に森と山川に『これ、どういうこと? ケガで辞退したんだよね。お前らの代わりに出た人もいるんだよ!』と詰問したそうです」
秋山もプレミア12が開幕する前の強化試合で死球を受けて右足の指先を骨折。泣く泣く本大会を辞退となったが、菊池ら代表メンバーが率先して秋山のユニホームをベンチに飾るなど、絆をアピール。秋山は骨折した足を引きずりながら優勝した後の胴上げにも参加した。当時の代表監督だった日本ハム・稲葉篤紀ゼネラルマネジャー(49)も東京五輪のメンバー選出にあたって「日の丸に真剣に向き合えない選手は選ばない」と山川と森の名前を出さなかったものの、態度を批判するなど、気軽にアップされた投稿は後々まで尾を引いた。
「言い訳に終始した2人に秋山は『もう、いいよ。好きにしたら?』と突き放して物別れに終わったといいます。その後、秋山はレッズに移籍し、山川と森は西武のリーダーとしてチームの主流派になった。秋山にとって西武に居場所がなくなっていたのは事実です」(球団関係者)
かといって、条件のいいソフトバンクに移籍すれば西武と同じパ・リーグで戦うことになる。ファンの心情を気遣う秋山に、古巣を敵に回す選択肢はなかった。一方で広島には一緒に代表のユニホームを着て、気心の知れた菊池や会沢がいる。日の丸の元で育まれた友情は、秋山にとって十分な寄る辺となった。
周囲がおどろいた選択は、必然だったのだ。
(※引用元 FRIDAYデジタル)