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高橋慶彦はロッテでやらかし阪神にトレード「縦縞は似合わなかった」

2023年10月29日

高橋慶彦はロッテでやらかし阪神にトレード「縦縞は似合わなかった」

「阪神を変える男」としてロッテから移籍──。1990年オフに阪神に新加入した高橋慶彦には、チームの低迷脱出に向けて大きな期待がかけられていた。

85年に球団初の日本一になった隆盛も束の間、翌年3位で終えると、87年には最下位に急降下。吉田義男監督から村山実監督に代わっても6位、5位と浮上できず、中村勝広監督が就任した90年も6位に終わった。すると球団は積極補強に動き、ダイエー(現・ソフトバンク)との交換トレードで池田親興、岩切英司、大野久、渡真利克則を放出し、藤本修二、西川佳明、吉田博之、近田豊年、右田雅彦を獲得。

さらに、日本ハムを自由契約になった内野手の古屋英夫が加入した一方、ロッテとの交換トレードも成立。85年ドラフト1位左腕の遠山昭治(=遠山奬志)を出して獲ったのが高橋だった。広島時代に盗塁王に3度輝き、通算1700安打を超え、33試合連続安打の日本記録を持つ俊足のスイッチヒッター。阪神としてはぜひほしい選手だったのではないか。高橋に移籍の経緯から聞く。

【やらかしたヤツがトレード要員】

「『阪神がほしかった』というのは違うね。たぶん、ロッテからやろうね。いつもやらかすんで、オレ(笑)。今のトレードはお互いちゃんと補強になってるけど、当時はまだ、何かやらかしたヤツがトレード要員。カープからロッテに行った時も、恒例行事の件で球団と揉めたのがきっかけだったし。それでいちばん最初に迷惑をかけたのが水上(善雄)だったね」

87年4月に催された、地元テレビ局主催の<カープ激励の夕べ>。恒例行事だったが、開幕前の最も大事な時期。しかも開幕2日前の開催というのが、選手間の懸案事項だった。そこでチームリーダーの高橋が球団上層部に意見すると騒ぎになり、オーナーのうかがい知るところになって怒りを買うと、高橋は行事をボイコット。開幕から2週間の出場停止処分を受けた。

その後、高橋のトレードに関する記事がスポーツ紙に載るようになり、翌88年オフには西武とのトレードが決まりかけた末に、89年オフ、投手の白武佳久、杉本征使とともにロッテに放出された。交換要員は内野手の水上、外野手の高沢秀昭で、いずれも主力の幹部候補。ゆえに、高橋にすれば「迷惑をかけた」ということなのだ。では、ロッテでは何をやらかしたのか。

「監督の金田(正一)さんと揉めてね。真夏のオールスター休みの日。立川の昭和記念公園に選手が集められて、朝10時から散歩、1時間。金田さんに『慶彦、どうや、この散歩いいやろ?』って言われて、『わかりません』って言ったの(笑)。もうオレ、33で若くないし、しんどいから。そしたら『なに⁉︎』って言われて、機嫌悪くされて。たぶんそれから関係が悪くなった。

しかも、あるコーチからね、『慶彦、監督にゴマすれよ』なんて言われたから。それでまたカチンときてね。オレはそういう人間じゃないんで。だからもっと関係がギクシャクして、『阪神に行ってくれ』ってなったんだと思う。まあ、もともと『外野に行け』って言われた時もできる状態じゃなかったし、ショートには佐藤健一もいたしね」

ポジションの問題もあり、ロッテでの高橋は100試合に出場も、先発は60試合弱。そのうち半数以上がDHだった。だが、広島時代に4年連続20本塁打以上を記録した時ほどの長打力もなく、球団は早くから放出を検討していたという。実際、スポーツ紙上で高橋のトレード記事が出たのはまだシーズン中の9月下旬。移籍先は阪神とされていた。正式に決まると、高橋は言った。

「トレード成立のために中村監督もずいぶん骨を折ってくれたらしいし、仕事のあるところに期待されて行くんだからね。自分でもその年は不本意だったし、心機一転、やるしかないと思ったよ」

【縦縞のユニフォームは似合わなかった】

11月下旬、高橋はわずか1年でセ・リーグに戻ることになった。ただ、阪神と広島ではかなり違う部分があったのではないか。

「まあ、それは違ったね。ただ、知ってる選手はたくさんいたから。それにオレ、もともと阪神ファンやから。とくに安藤統男さんのファンでね。あの人、セカンド、ショートを守って外野も守ったけど、ほぼレギュラー獲ってないんよ。でも、プレー中の仕草が好きでね。で、オレが広島に入った時に阪神の二軍監督で、二軍戦で褒められてね。それで喜んでまた好きになった。

あと、ピッチャーだったらアンダースローの上田次郎さんが好きだった。小学生時代によく上田さんのフォームの漫画を描いていたし、アンダースローで投げていた時期あったもん。だから阪神に入ってうれしいというか、頑張ろうと思ったよ。でも、まず似合わなかったよね、縦縞のユニフォームが。なぜか知らんけど」

子どもの頃からファンだったチームに入って、そのユニフォームが似合うか否か。そこまで気になるほど、高橋にとって阪神は特別だった。そのなかで、マスコミの注目度は広島に比べて何倍も高かったと思われるが、移籍1年目のキャンプで戸惑いはなかったのだろうか。

「それはオレ、知ってたから。ただ、注目度が高いから難しいと言ったら、そうかもしれない。マスコミだけじゃない、OBもたくさんいるからね。そういうなかでもちゃんと仕事すればいいんだけど、仕事できないと大変じゃないかな。早くから活躍した若い選手はとくに。あと阪神ファンって、けっこう野次がきれいですからね(笑)」

【開幕前に起きたまさかの出来事】

91年2月の高知・安芸キャンプ、第1クールのグラウンド。日が暮れるまで特打ちを行なう高橋の姿があった。渾身の力でバットを振り続け、バッティンググローブに血がにじむほどだったという。期待されていることを自覚し、ひたむきに取り組んでいた。

「練習はした。それまでの練習量と変わらないと思ってたよ。ただ、もうカープにいた高橋慶彦じゃないからね。自分で力が落ちてるのはわかっていたから。ロッテでずっとレギュラーとして出ていたらまた違ったんだろうけど、そうじゃなかったし」

もともと、レギュラーじゃなきゃプロ野球選手じゃない、という考えを持っていた高橋。新天地の阪神でプロ17年目を迎えた当時、34歳だった。もはや、自分の考えが通らないことも自覚していた。ベテランと言われる年齢での移籍自体、レギュラー獲りの難しさがあるのだという。

「年をとってトレードで入った選手は、いったんレギュラー獲ったとしても、外れたら、また獲るのは難しいんよね。焦りも出るし。今のトレードは年とった選手でも役割がはっきりしているけど、当時は違うからなおさらね。それでオレの場合、阪神に行ってキャンプはよかったけど、開幕前にぶつけられてね。オープン戦の始球式で」

3月30日、藤井寺球場での近鉄対阪神戦。開幕1週間前のことだ。試合前の始球式のマウンドに上がったのは、大阪出身で阪神ファン、野球通で知られていた芸人の山田雅人。左打席に1番の高橋が入ると、意外にも山田が投げたボールは速く、体のほうに向かってきた。避けきれず右ヒジで受け、その場に倒れ込んだ。

「本当に速い球、投げたんよ、あいつ。すぐ治療してもらって、試合にはそのまま出たけど、3回で交代したからね。今の選手はヒジ当てしているから大丈夫やけど、当時はないから。阪神で頑張ろうと思っていたのに、そういうふうについてないところもあって、ダメだったよ」

当たった箇所は内出血していたため、応急処置で血を抜く治療が施された。しかも、2日前のオリックス戦では、右打席に立って左ヒジに死球を受けたばかり。大事な開幕を無事に迎えたい高橋にとって、この2つの「死球」はストレスでしかなかった。

(※引用元 web Sportiva

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