最大6・5ゲーム差を阪神に逆転され、広島はクライマックスシリーズ(CS)進出を最後の最後に逃した。ファンには残念な結末で今季を終えたが、その少し前となる9月15日、赤ヘル一筋7年、外国人選手として球団史上最も長く在籍し、昨季限りで退団したエルドレッドさん(39)の引退式典がマツダスタジアムで開かれたことをおぼえているだろうか。12分半に及んだ感動のスピーチ。実はこの最後のメッセージは、読まれなかった〝続き〟があった。
▽3万2千人の視線を集め、引退式典に
エルドレッドさんは2012年シーズン途中に広島に入団。真面目で優しい性格と、196センチ、126キロの巨体を生かした豪快な打撃でファンの心をわしづかみにした。14年には本塁打王に輝くなど無限のパワーで低迷期からチームを支え、16年には25年ぶりのリーグ優勝に貢献。球場を離れても街中を自転車で走る姿はおなじみだった。背番号「55」を松山竜平外野手が継いだように人望も厚かった。今季も日本球界でのプレーを望んだが、オファーがなく9月4日に現役引退を発表した。
引退式典当日は、広島大学病院の小児科病棟を慰問。「病気で苦しんでいる子どもたちに何か手助けできればやっていきたい。少しでも明るい気持ちが芽生えたのであれば行ってよかった」と笑顔を見せた。式典でのフリー打撃では、133本のアーチを架けた現役時代をほうふつとさせる大きな柵越えを放った。イニング間には自転車で外野を疾走し、妻や4人の娘たちとダンスを披露。そして試合後、今季最多となる3万2392人の視線を一身に集める中、引退スピーチが始まった。
▽四方に手を振って頭を下げたら…
「広島に戻って来てうれしいです」。まず日本語でそう切り出すと球場が沸いた。そして「西村さんと松長さんは日本に降り立った最初の日からいつも一緒でした」と公私を支えた2人の通訳に真っ先に恩義を伝えた。夢だったというセレモニー。「世界一のファンの前で野球ができたことは私たちのかけがえのない財産です」。高ぶる感情をかみしめるかのように言葉をつないだ。両親と妻に愛を語り、苦楽をともにした首脳陣とチームメート、球団職員にまで感謝を述べた。もちろんカープファンにも。熱狂的な応援を思い起こし「一生忘れません」と固く誓った。
続けて、日本語で「ありがとうございました」と四方に手を振って頭を下げた。
これがスピーチ終了と勘違いされた。万雷の拍手に包まれ、鈴木誠也らからの花束贈呈へと進んでいった。
しかし、関係者によると用意していた原稿には続きがあった。読み上げられなかったのはこの部分だ。
「いろいろなことがありすぎて、本当にさみしくなりますが、しかしまたカープという家族の一員になれることをうれしく思います。そしてまた私のできることを一生懸命やってチームに貢献していきたいと思います」
〝家族〟に戻る喜びと、駐米スカウトとしての活躍を約束し、最後は広島への愛で締めくくられていた。「これからも広島はいつも私の心の中にあります」
後日、自身のインスタグラムにスピーチで伝えられなかった思いを書き残した。「愛しています。そして、愛してくれてありがとう」(共同通信=寺内俊樹)
▽引退スピーチ全文
広島に戻って来てうれしいです。西村さん、お願いします。
最初に私のために引退セレモニーが開催されると聞いて、まず西村さんのヘル
プがないとできないと思いました。西村さんと松長さんは私が日本に降り立った
最初の日からいつも一緒でした。初来日した時は言葉も分からず、何をどうして
いいのかも全く分かりませんでした。この2人がどれだけ外国人選手にとって重
要な存在なのかはあまり知られていないです。この2人は私の通訳でもあり、先
生でもあり、コーチでもあり、あらゆる役割を果たしてくれました。今、私はこ
の2人を素晴らしい友人と呼べることが本当にうれしいです。どれだけ感謝して
いるか、分かっているかどうか分かりません。ありがとう。
引退セレモニーの開催の招待を受けた時、最初に私の脳裏によぎったのは同じ
ように引退セレモニーをされた数々の名プレーヤーたちのことでした。いつも引
退していく選手の引退セレモニーを見ていて、グラウンドの中心に立ち、皆さん
に感謝を述べ、野球人生を終わることができるなんて夢のような話だと思ってい
ました。私が同じような名誉あるセレモニーができるなんて想像もしていません
でした。私は今ここで私と私の家族をこの場所に連れて来てくれた、私の夢でも
あった引退セレモニーで皆さんに感謝の気持ちを伝える場所を与えてくださった
カープ球団、松田オーナーに感謝します。
カープに在籍した7年間で私と家族は数々の思い出を作ることができました。
球場で、そしてプライベートで素晴らしい人々と出会い、友人関係を構築するこ
とができました。広島の街に温かく迎え入れられ、出会った多くの人たちが広島
を故郷(ふるさと)のような街にしてくれました。広島で暮らしたこと、家族を
育てたこと、そして世界一のファンの前で野球ができたことは私たちのかけがえ
のない財産です。
私の母と父はこのセレモニーのためにアメリカから駆け付けてくれました。両
親が野球を教えてくれ、そして皆さんの前で野球選手としてプレーできたのもあ
なたたちのおかげです。あなたたちは私のために世界中を一緒に旅し、あなたた
ちの人生を犠牲にしてまで私の夢を一緒に追いかけてくれました。私の人生をい
つもサポートしてくれ続けました。どれだけ感謝してもしきれません。愛してい
ます。
オクサン、妻へ。あなたはここまでずっと一緒に過ごしてくれました。毎シー
ズン、1試合1試合、私のそばで一緒に駆け抜けてくれました。あらゆる成功や
失敗にも常にそばにいてくれ、時にはアドバイスを、時にはモチベーションを、
時には私のお尻を叩いて励ましてくれました。野球のことを理解してくれ、時に
はバッティング練習の手伝いまでしてくれた、あなたを妻に持てて本当に幸運で
す。感謝することをリストアップするのは至難の業です。野球選手の妻として我
々家族のためにしてくれた数々のこと、あなたはいつも私に尊敬の念を持って接
してくれました。しかし、本当は私の方があなたのことを尊敬しています。芯の
強い妻、そして母としてこの私たちの野球人生を乗り切れたことを感謝します。
そして4人の美しい子どもたちを授かり、また彼女たちにも私が野球をしていた
姿を見せられたことにも感謝します。本当に愛しています。ありがとう。
今までの歴代の監督、コーチ、そして現監督、現コーチの方たちへ。いつもよ
く接してくれ、勇気づけてくれて、そして私がチームのために何をしたらいいの
かというモチベーションを与えてくださったことに感謝しています。
私のチームメートである兄弟たちへ。いつも私を輪の中に加えてくれ、良くし
てくれました。あなたたち以上のチームメートはどこにもいません。みんなと一
緒に3連覇できたこと、今まで一緒に戦ってきて一緒に成し得た全てのことを誇
りに思います。何事にも一生懸命に取り組んできたこと、素晴らしい関係ができ
たこと、そして何よりみんなとしたビールかけ。これからもみんなに素晴らしい
成功があることを祈り、これからは観客席からみんなをサポートしていきます。
とにかくフィールド上での一瞬を大切に楽しんでください。そして、全力を出し
切ることを忘れないでください。
裏方を含めた球団職員のみなさん。みなさんがこの7年間、私のためにしてく
ださった全てのことに感謝します。本当にありがとうございました。みなさんは
表に立ったり、表で目立ったりしない存在ですが、選手たちが野球に専念できる
環境を整えてくれていることを私は決して忘れません。ありがとうございました。
そして、世界一のファンのみなさんへ。この7年間の温かいサポート、本当に
ありがとうございました。応援歌を作って演奏してくれたこと、数々のプレゼン
ト、家族と温かく接してくれたこと、そして試合の最後まで私たち選手を信じ、
最後まで諦めずに応援してくださったこと。私はこれからもスタンドのみなさん
の笑顔、55番のユニホーム姿、そして3年前に優勝した時の歓喜の輪で涙した
ファンのみなさんを一生忘れません。ありがとうございました。
**いろいろなことがありすぎて、本当にさみしくなりますが、しかしまたカープ
という家族の一員になれることをうれしく思います。そしてまた私のできること
を一生懸命やってチームに貢献していきたいと思います。**
これからも広島はいつも私の心の中にあります。(終わり)
(※引用元 47NEWS)