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鉄人・衣笠から「割り箸を用意しろ」の助言、八重樫が感謝したこと…

2020年12月10日

鉄人・衣笠から「割り箸を用意しろ」の助言、八重樫が感謝したこと…

【誰とでも分け隔てなく、気さくだった衣笠】

――前回は山本浩二さんの思い出を伺いましたが、衣笠祥雄さんにはどのような思い出がありますか?

八重樫 衣笠さんはとても気さくな人柄でしたね。僕がまだ若手だった頃も、分け隔てなく「おぅ、元気か?」と接してくれた人でした。いつも、相手チームの若手にも気楽な感じだったな。逆に浩二さんは近寄りがたいというか、話しかけられる雰囲気じゃなかった。まるで、王(貞治)さん、長嶋(茂雄)さんのような感じでしたね。

――長嶋さんは話しかけやすくて、王さんは近寄りがたい?

八重樫 そう。長嶋さんも「よぉ!」って積極的に声をかけてくるタイプだったけど、王さんはグラウンドでは一切、会話もないし、白い歯も見せない。衣笠さんと浩二さんもそんな感じでした。とにかく、衣笠さんは「気さくな人」というイメージ。若い頃は合宿所を抜け出して夜遊びしていたとか、入団早々に外車に乗っていたとか、そういうウワサも聞いていたけど、そういうことを微塵も感じさせない人だったな。

――個人的に衣笠さんとやり取りした思い出はありますか?

八重樫 いろいろあるけど、一番忘れられないのは1984(昭和59)年、僕が初めてオールスターに選ばれたときのことかな?

――以前も伺いましたが、オールスター直前に右手人差し指を亀裂骨折して、出場辞退をするかどうか迷ったけど、強行出場したときの話ですね。

八重樫 うん。このときセ・リーグの監督だった王さんにも「ぜひ出てほしいし、できれば守ってほしい」と言われていたので、「代打なら出場できる」という判断で出場したんだよね。それに、当時のヤクルトは土橋(正幸)さんが監督だったから、「無理してでも出ろ!」って言われていたし(笑)。でも、どうしようもなく痛い。普段の力を100だとしたら、20、30の力しか出ない。それで「困ったな」と思って、衣笠さんに相談したんです。

――なるほど、連続試合出場記録を誇る「鉄人」なら、何かいいアドバイスをもらえそうですね(笑)。

八重樫 最初に「衣笠さんは人差し指を骨折したことありますか?」って聞いたら、「あぁ、何度もあるよ」って言われて、「さすがだな」って思ったよ(笑)。で、「そういう場合はどうすればいいですか?」って聞いたんだよね。

【衣笠からの効果的なアドバイス】

――実体験に即したアドバイスがもらえそうですね。

八重樫 衣笠さんいわく、「まず割り箸を用意しろ。そして、それを副木として人差し指に添えて、テーピングで固めればいい」って言うんですよ。で、言われた通りにやってみて、試合前の練習でセカンドにスローイングしてみたんです。でも、痛くて痛くてしょうがなかった(笑)。右手の指先はボールに触れないように、指の腹の部分だけ触れて投げるんだけど、勢いのあるボールは投げられなかったな。

――人差し指のつけ根から第一関節まで割り箸で固定して、骨折している指先は裸のままにしておくんですね。でも、割り箸が添えられた状態ではボールも握りづらいし、指先もボールに触れないとなると、チェンジアップ気味のボールになるんじゃないですか?

八重樫 チェンジアップよりも、さらに緩いボールだったかな? 何とかセカンドベースまでは届くけど、絶対に盗塁は刺せない(笑)。衣笠さんはそれで内野を守っていたんでしょう。やっぱり、すごい人ですよ。だから守ることはあきらめて、代打に専念する形でオールスターに出たんです。

――それでも、結果的にオールスターに出場できたのは、ある意味では衣笠さんのおかげだったんですね。

八重樫 あのときは初めてのオールスターだったし、あの王さんが監督推薦で選んでくれたから、どうしても出たかった。本当に衣笠さんのおかげです。でも、そのオールスターで対戦したのが、ヤクルトから近鉄に移籍していた鈴木(康二朗)さんだったんですよ。

――かつてヤクルト時代にバッテリーを組んで、王さんに756号のホームランを喫した盟友ですね(笑)。

八重樫 鈴木さんのストレートはシュート回転するので、指を骨折しているときに対戦する投手じゃないんだよね(笑)。だから事前に「指を骨折しているので、できれば変化球を投げてほしい」と伝えていたんです。

――で、どうなったんですか?

八重樫 ずっとストレート(笑)。それで、シュート回転のボールを打ったら、手がしびれるようなファールになって。そのときのスイングが原因で、右手にガングリオン(こぶ)ができて、今もしこりが残ったままなんです。最初は柔らかかったんだけど、今はもう固くなったままなんだよね。

【常に全力疾走を怠らない、山本浩二、衣笠祥雄】

――話は戻りますけど、最初に「衣笠さんに相談しよう」と思ったのは、誰かの勧めなんですか? それとも、八重樫さん自らの考えですか?

八重樫 自分の考えで行きました。最初に言ったように、話しかけやすい雰囲気の人だったから、特に緊張することもなく相談したら親切に教えてくれた。本当にいい人だったよ。

――打者としての衣笠さんの印象は?

八重樫 ボールから絶対に逃げない。これに尽きるんじゃないかな? あと、ものすごく感心したのは、当時はすでに主力選手になっていたし、大ベテランでもあったのに、常に一塁まで全力疾走していたことだね。普通、ベテランになるとそういうところで手を抜いたりするものなのに。衣笠さんがそういうプレーをしているから、若手も気が抜けない。チーム全体にいい影響を与えていたね。

――以前、元広島監督の阿南準郎さんに聞いたんですが、「カープはとにかく全力疾走を徹底させていた」と言っていました。たとえ平凡なゴロであっても、全力疾走することで、相手野手に無言のプレッシャーをかけられる。それによって相手を慌てさせ、ボールをはじいたり悪送球を誘発したい。そんなことを言っていました。

八重樫 まさに、カープの野球がそういう野球だったな。その代表が衣笠さんだったとも言えますよね。内野手からすると、ボールが飛んできて処理するときに、「大体、打者走者はこの辺を走っているだろう」と思うわけです。でも、自分が思っていたよりも、多少なりとも前にいると、それは当然焦ると思いますよ。そういう点がカープの強さだったし、今でも受け継がれている伝統なんだよね。それを浩二さん、衣笠さんのようなベテランが率先してやっていた。それが広島の強さの秘密だったと思います。

(※引用元 web Sportiva

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