23年ぶりにマツダスタジアムに姿を現した背番号33が打席に入ると一際大きな歓声が上がった。現役時代と変わらないゆったりとした構えから放たれた打球は綺麗な放物線を描き、レフトスタンドの遥か前にぽとりと落ちた。
あの時のような「虹の彼方へ」と消える打球ではない。しかしその場にいる誰もが市民球場上段へ飛び込む大きなホームランを思い浮かべていた。
カープファンの遺伝子にその姿が刻み込まれていると言っても過言ではない、ビッグレッドマシンの4番江藤智。先月行われたレジェンドゲームでの赤いユニフォーム姿に胸が震えたファンも多いだろう。
前田智徳、緒方孝市、金本知憲、野村謙二郎など錚々たるメンバーの中打線の核を担った山本浩二以来の和製大砲。あのフォームの美しさに、芸術的な弾道に何度心を奪われただろうか。当時プリンターの広告でパ・リーグを代表する4番清原和博と江藤智の二人のシルエットが新聞一面を飾っていた思い出があるが、それほどにその存在は圧倒的だった。
「レジェンドゲームはお断りするつもりでいたんです」
FAで広島を去った時の悲しい思い出はあるものの、それ以上に我々にカープファンであることを誇りに思わせてくれた背番号33。今までカープに関して多くを語らなかった江藤氏が今回なぜカープのユニフォームに袖を通したのだろうか。そこには江藤氏が抱くカープへのある思いがあった。
「最初は今回のレジェンドゲームはお断りするつもりでいたんです。FAで出ていった自分が出場する資格はないって。でも周りの友人にぜひ出るべきだと強く勧められたり、同じFAで広島を出た金本さんも参加すると聞いてぎりぎりで参加させてもらうと決めました」
江藤氏がFAで移籍したのは川口和久氏についで2番目。今でこそ選手の権利として認められているが、当時のファンの反応は凄まじいものがあった。移籍してからは広島の街に出ることもなかったという。レジェンドゲーム当日までファンに受け入れてもらえるか不安だったそうだ。
「当日緊張していたのではっきりはわかりませんでしたが、とても暖かい反応にホッとしたというのが正直な気持ちですね。ファンのみなさんの拍手が本当に嬉しかったのを覚えています。参加して良かったと心から思いました。昔のチームメイトとも一緒のロッカーで、隣に金本さんや緒方さん野村さんがいて、うわー監督さんばっかりだー、とドキドキしました(笑)」
なんとも謙虚な江藤氏。新人時代は前田氏と二人きりで1軍に呼ばれていたため、若手の二人は第二ロッカーという細すぎるロッカーを使っていたことを思い出したとか。
「殺されるのが嫌じゃなかった」
レジェンドたちがひしめく打線の中で4番を担っていた江藤氏だが「カープの4番」ということに特にこだわりはなかったという。
「4番を任されてはいましたがあくまで4番目の打順の選手というだけ。とにかく当時は必死でしたね。前田のような天才と違い僕は努力するしかなかった。体が丈夫なことと前向きなことだけが取り柄でしたから。どんな殺されそうな練習でも、ただただありがたかった。殺されるのが嫌じゃなかったというのが良かったのかもしれませんね(笑)」
「殺されるのが嫌じゃなかった」。深すぎる言葉である。当時江藤氏は裸足でバッティング練習をし足の裏がよく剥がれていたと前田氏も述べていたが、あのアーチは命を削って作り上げたものだったのだ。
江藤氏は今のカープをどう見ているのだろう。現在のカープについて尋ねるとこんな答えが返ってきた。
「カープのことは広島を離れてからも気になってはいました。33番を同郷の菊池(涼介)くんが『江藤さんの番号だから着けている』と聞きましたがとても嬉しいですね。カープも今年は十分チャンスがあるチーム状態。一カープファンとして楽しみにしています。特に佐々岡さんには現役中とてもお世話になったので、佐々岡さんを是非とも胴上げしてほしいです」
カープ打撃陣についての質問には「僕なんかが打撃のことを話す資格はないですよ」とどこまでも謙虚な姿だった江藤氏。最後まで穏やかに丁寧に答えてくれたその姿はあの時見ていた優しき大砲そのものだった。
(※引用元 文春オンライン)