なぜか古巣に戻らなかったのか
7月8日の中日対広島戦は、パドレス傘下の3Aエルパソを自由契約となり、広島カープに加入した秋山翔吾外野手(34)にとっても国内復帰初戦だった。「3番・左翼」でスタメン出場すると、3回の第2打席で中前適時打を放っていきなり存在感を示した。
それから遡ること11日前の6月27日、球界に衝撃が走った。「秋山、広島入り」。この一報を多くの球界関係者が驚きを持って受け止めた。日本球界での復帰先として古巣の西武やソフトバンク、広島が獲得に名乗りを上げ「三つ巴」の争奪戦を繰り広げたが、秋山が下した決断はあまりにも意外なものだったからだ。
「誰もが既定路線で西武ライオンズに戻るものだと思っていましたから。彼の性格上、古巣と同一リーグのソフトバンクを避けるのは想定内でした。ただ『大穴』の広島を選んだのは、まさかという感じ。『本命』だったはずの西武のプライドは傷ついたはずです。何だかんだでウチに戻ってくるだろう、とたかをくくっていたところもあったでしょうから」(パ・リーグ球団の編成担当者)
理由は「人間関係」だった
海を渡って大リーグに挑戦し、後に日本球界に復帰する選手は少なくない。現役ではヤクルト・青木宣親、ソフトバンク・和田毅やオリックス・平野佳寿、楽天・田中将大は古巣に戻り、2015年に黒田博樹が広島に復帰した際の「男気」は全国のカープファンを熱狂させた。
一方で、「秋山はやっぱり西武には戻らなかったか」という声も聞こえてくる。
かつて在籍していなかった球団を選択する場合、古巣と同じリーグの球団を避けるケースは多い。新庄剛志や城島健司、岩隈久志、西岡剛らが代表例で、秋山はこのケースに該当する。とはいえ、いったいなぜ慣れ親しんだ西武を選ばなかったのか?
背景には、2つの理由が存在していたようだ。
まず条件面。広島は今シーズンを含めた2024年までの3年契約、インセンティブを含めて総額5億円規模の条件を提示したとされる。豊富な資金力を誇るソフトバンクはその金額をはるかに上回る大型契約を用意して対抗した。
かたや古巣という圧倒的なアドバンテージがあった西武が提示したのは2年契約で、金額も3球団の中で最も低かった模様だ。秋山が重視していたのは契約年数だったため、ライバル球団にリードを許す格好になった。
「秋山は米国でのプレーに区切りをつけるとなれば、基本的には古巣に復帰するつもりだったようです。でも蓋を開けてみれば、提示された条件は想像していたよりも低いものだった。秋山はプライドが高い選手ですから、出戻りとはいえ足下をみられるような条件に失望したそうです。西武側がもう少し秋山の希望に歩み寄って、戻ってきてほしいという熱意を見せていれば、また違う結果になったでしょう」(スポーツ紙デスク)
次に環境面。古巣への復帰をためらわせたもう一つの「ネック」が、複雑な人間関係だという。渡米前、秋山とある主力のベテラン選手Aとの確執はチーム内で周知の事実だった。当時の秋山の理解者は、今はほとんどチームに残っていないため、古巣とはいっても決して居心地のよい環境ではなかったようだ。
「将来の監督候補にも挙がるAと秋山は当時から反りが合いませんでした。Aは昔気質の兄貴肌気質で人望もあって、常ににらみを利かせている裏番長タイプ。絶対的な存在のAと対立してしまうとウチのチームでやっていくのは大変です。もし戻ってくるなら、今後もAとの関係は長くついて回ることになりますから」(西武球団関係者)
あのメジャーリーガーも背中を押した
秋山のハートを射止めた広島は、この点でもライバル球団をリードしていた。侍ジャパンの元チームメートで親交が深い菊池涼介や同学年の会沢翼を「交渉役」に立ててラブコールを送り続け、「同じ’88年生まれで仲良しの『ツインズ』の前田健太もカープ入りを猛プッシュしたと聞きます」(在広島テレビ局記者)。
条件面では秋山が求めていた3年契約で誠意を示し、交友関係を駆使して環境面の魅力を伝えた。球団が一丸となった緻密な交渉術で、広島は劣勢とみられていた下馬評を覆して争奪戦を制したのだ。
入団会見で秋山はこう言った。
「選手としてまだまだ長くやりたい。もう1回しっかりレギュラーを獲る」
どの社会においても金と人間関係は働く人間たちのモチベーションを大きく左右する。日本球界が誇る希代のヒットメーカーは新天地で、水を得た鯉になれるか。
(※引用元 現代ビジネス)