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古葉竹識が「名将」たる所以と、広島時代からの「チーム古葉」の凄さ

2022年7月26日

古葉竹識が「名将」たる所以と、広島時代からの「チーム古葉」の凄さ

1987年、3年連続でBクラスに低迷していた大洋の監督に就任した古葉竹識。当時、大洋で主力として活躍していた高木豊氏は、古葉氏を取り巻く”チーム古葉”のすごさが印象的だったという。そんな周囲の人間たちのエピソード、監督として大切にしていたことなどを高木氏に聞いた。

――古葉さんは、小林正之さんや寺岡孝さんなど、広島時代のコーチ陣を大洋に引き連れてきました。

高木 そうですね。古葉さんの周りにいた人たちの印象は強かったですね。なかでも、広島時代から古葉さんのマネージャーをやられていた雑賀幸男さんには、ものすごくよくしてもらいました。

――たとえば、どんなことですか?

高木 大阪で行なう予定だったオープン戦が雨で中止になった時、やることがなかったので、「雑賀さん、何か暇つぶしできるようなことはないですか?」と聞いたら、「相撲でも見に行くか?」と言われて。ちょうど大阪場所が行なわれていて、雑賀さんはチケットをすぐ手配してくれた。相談すれば何でも叶えてくれるという存在でした。

――広島時代からの”チーム古葉”といえば、名スカウトと言われた木庭教さんも大洋に来ましたね。

高木 木庭さんがスカウティングする選手は、ひと味違いました。そのおかげで権藤博さんが横浜の監督に就任した1998年に優勝するのですが、それは全部、木庭さんがスカウティングした選手たちなんです。

野村弘樹、石井琢朗、谷繁元信、進藤達哉らがそうですが、1998年に優勝したチームの中心選手たちですよね。そういう意味では、古葉さんの人脈というか、古葉さんをサポートしている人たちのすごさを感じました。

古葉さんに、「広島時代に何度も優勝できたことを誰に感謝しますか?」って聞いたことがあるんです。山本浩二さんや衣笠祥雄さんかな、と思っていたんですが、「スカウトだな」と。木庭さんを中心としたスカウト陣は、「常にチームの足りない部分を補う選手を探してきてくれた」と言っていました。

――チーム古葉の結束力を感じた?

高木 そうですね。揺るぎない信頼関係を感じました。もちろん古葉さん自身もすごい方ですが、古葉さんを取り巻く人たちを含めたチーム古葉のすごさが印象的でした。

――古葉さんのもとで野球をするなかで、新しい発見はありましたか?

高木 野球はとてもシンプルです。とにかく同じことを言い続ける。選手は「もうわかってるよ」と思うんですが、「でも、できてないだろ」って。だから、できるまで言うんです。

試合前の円陣で選手たちにかける言葉も、いつも一緒で「とにかく頑張ろう」と。デーゲームの場合は、「太陽の位置だとかをちゃんとチェックするように」とかね。そういう言葉を常に口にしていました。古葉さんは”耐えて勝つ”を座右の銘にしていて、ファンへのサイン色紙なんかにもよく書いていましたけど、納得させられますよ。

「細心の注意を払う野球」とも言えるかな。たとえば、外国人打者に対しては、バッテリーに「初球は絶対にストライクから入るな」と指示したり。注意を払いながら、本当にオーソドックスに野球を進めていく方でした。「最初の1本」「最初の1球」というように、”第一動作”についてはしつこく言われたので、プレーのなかでかなり意識するようになりましたね。

――古葉さんが率いていた頃の広島には、高橋慶彦さん、山崎隆造さん、正田耕三さんといった足が速い選手が揃っていました。それと同じように、大洋には高木さん、屋鋪要さん、加藤博一さんらがいましたが、広島時代のように機動力を使った緻密な野球を推進しようとしていた?

高木 足は「あれば使う」という感じでしたね。それが主ではなかったと思います。やはり軸がしっかりしなきゃいけませんから。広島は山本さん、衣笠さんといった強打者でがっちりとクリーンナップを固めることができていたからこそ、足の速い選手も生きたと思います。

それと、練習の環境を大事にされていました。大洋のキャンプ地を、静岡から沖縄に変えたのは古葉さんです。寒い場所よりは暖かい場所がいいだろうとか、こういうホテルにしようとか、夜中トイレに行く時は寝ている選手を起こさないように気をつけろとか、そういった点でも細心の注意を払う方でした。

――生活のなかで何かを制限されたり、管理されることもあった?

高木 管理されているという感じではなかったですね。ただ、試合の約3時間と、その前の練習の時だけは「野球に集中しろ」という感じでした。

――高木さんが考える、古葉さんが名将と呼ばれる理由は?

高木 やはり実績ですよ。大洋時代は僕らの力不足もあって結果を残せませんでしたが(3年間で5位、4位、6位)、広島時代は11年間でリーグ優勝を4回、日本一にも3回輝いています。監督の勝利数でも900勝近くしていますし(歴代15位の873勝)、間違いなく名将ですよね。

あと、慶彦さんをスイッチヒッターとして成功させ、それを模範に山崎と正田もスイッチヒッターとして育てました。木下富雄さんを代打や代走、守備固めで起用したりだとか、いろいろなことを”手作り”でやった。育てながら勝ったという意味でも名将だと思います。

ただ、僕は古葉監督より前に大洋の指揮を執った関根潤三さん(1982~1984年)も名将だと思っています。名将と呼ばれない理由は、やはり勝てていないから(大洋で3年間、ヤクルトで3年間、計6年間監督を務め、通算331勝)。でも、関根さんは多くの選手を育てた人ですし、そういう人も名将なんじゃないかなと思います。

――古葉さんを、野球界に限定せずに今の社会における「上司」として考えた場合、どうなると思いますか?

高木 古葉さんは広島時代には鉄拳制裁もあった方ですが、それは愛情があってのもの。憎くてやったことは一度もないと思うし、「選手にうまくなってもらいたい」とか、そういう気持ちの表れだったと思うんです。

そのあたりは今の人たちだと理解できないでしょうし、社会的に許されないでしょう。古葉さんは言葉もうまい人だったのになんで手が出たんだろう、とは思いますけどね。

――言葉巧みな印象もあった?

高木 そうですね。もの静かで柔らかい話し方をされますし、知的な部分もありました。僕が接していた時の印象としては知的なほうが多いかな。いずれにせよ、激しい面と知的な面の両方を持っていた方です。

それと、頼ると何でも応えてくれる方でしたね。自分の人脈はもちろん、他の人の人脈を使ってでも、困っている人を助けようとか、希望を叶えてあげようとか、とにかく面倒見がよかったです。そういう観点から見ると、頼れる上司なんだと思います。

(※引用元 web Sportiva

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