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秋山が松島アナの息子に届けた奇跡のボール「パパが亡くなった日に」

2022年10月16日

秋山が松島アナの息子に届けた奇跡のボール「パパが亡くなった日に」

CSファーストステージで、ライオンズの2022年の戦いは幕を下ろした。日本シリーズでライオンズの試合を中継する目標は、叶わなかった。

野球シーズン終了を前に、文化放送では改編があり、ナイターオフの期間に入った。少し内側の話をさせていただくと、日本シリーズの中継を残してはいるものの、文化放送スポーツ部的には軸足を野球から学生駅伝へと移しつつある。

こうした区切りのたびに想うのは、松島茂アナウンサーのことだ。

秋の風を感じるようになった頃、報道スポーツセンターの壁にかかる松島さんの写真に、今年のライオンズナイターが終わったこと、そして駅伝シーズンが始まったことを報告した。

今回、このタイミングで、松島茂アナのことを、そして少し前の話にはなるが松島アナに届けられたボールの話をさせてほしい。

いくつもの偶然が重なり、必然へ

松島茂アナウンサー。文化放送リスナーにはおなじみだろう。ライオンズナイターや駅伝中継など、スポーツ実況の最前線で活躍した。私が文化放送でディレクターに就いた2018年当時はライオンズナイターのチーフも務めていたし、ライフワークのように駅伝中継に取り組まれていた姿も、いまだ記憶に新しい。

ライオンズナイターでも、駅伝中継でも、その真ん中には必ず松島アナがいて、今考えればとんでもない量の仕事を抱えていたはずなのに、それでも楽しそうに「わっはっは」と笑う姿ばかりが思い出されるのは、松島アナが心配りの方だったからだろうか。

松島さんの病状を聞いたのは、今から3年前のことだった。肺腺癌。懸命な闘病の末、2020年2月23日、この世を去った。

奇しくもその日、海の向こうでメジャーリーガーとして第一歩を歩み始めた男がいる。秋山翔吾だ。

そしてその日、私はたまたまシンシナティ・レッズがスプリングトレーニングを行うグッドイヤーにいた。秋山のメジャーでの実戦最初の試合を見て、最初のヒットのボールを預かり、告別式で松島さんのご家族にそのボールを渡すことができたのだが、それにはいくつもの偶然の重なりがあった。それをここに記してもよいだろうか。

私の旅の記録は面白いものではないのだが、これでもかと重なる偶然に、今でも不思議な旅だったと思わずにはいられないのだ。

5つの偶然が重なり、そして……

1つ目。秋山の所属がアリゾナでスプリングトレーニングを行う球団になったこと。私(と夫)は毎年2月に休暇を取って、アリゾナでのんびり球場巡りをしているのだが、秋山がフロリダでスプリングトレーニングを行うチームに移籍していたら、こうはなってはいない。秋山のレッズ入団が決まったのが2020年1月、私たちが旅の日程・場所を決めたのは2019年12月だった。

2つ目。アリゾナ・フェニックスへは直行便がないのでトランジットが必要で、多いのはロサンゼルスかサンフランシスコを経由するケースだ。しかし、その時は一番安価だったダラス経由を選んでいた。そのダラス空港でレッズの赤いリュックを背負った人を見かけたのだが、よく見ると秋山選手のマネージャーさんだった。お声掛けすると横にいたのは秋山選手の奥様。シンシナティへ向かう途中だったそうだ。そこで、秋山選手に会えたら「これを渡してほしい」と週刊少年ジャンプを預かることになる。秋山選手の連絡先も知らず、会える保証もないのに、だ。

そして、3つ目。一応述べておくと、私の旅の目的はカブスの試合・練習を見ることだ。現地時間2月22日、スプリングトレーニングゲームが始まる日。私はカブス対アスレチックスの試合を観る予定だった。秋山が実戦デビュー予定のインディアンズ対レッズの試合は、ともにデーゲームで開始時間も重なっていたので、週刊少年ジャンプの存在が心に引っ掛かりながらも諦めるしかなかったのだ。……が、そこに雨が降る。カブスの試合は開始時間を遅らせナイトゲームになった。一方、レッズの試合は中止になり、秋山のデビューは翌日に持ち越された。砂漠のアリゾナに雨が降った。

4つ目。それであれば秋山選手のデビューが見られるかもしれないと、翌日23日はグッドイヤーへ向かい、チケットを買って球場に入った。アメリカの球場はどの席のチケットでも、内野も外野も、球場をぐるりと回ることができるのが楽しくて、その日も試合前の球場探索を楽しんでいた。そこに、ちょうどレッズのバスが着き、選手たちが降りてくる。秋山が目の前を通過する。この偶然には小心者の私もさすがに声をかけるべきだろうと思い、勇気を出して「秋山さん」と呼んでみた。「ジャンプ、どうしたらいいですか?」と。そこで「松島さんのこと、聞いたよ」と言われた。すでに高橋将市アナウンサーが松島さんの無念の報を入れていたのだ。「とりあえず、頑張ってくる」と言ってセンター後方からダグアウトへ向かう姿を、眺めた。球場って広いのに、はかったようにこの瞬間、私たちがここを歩いてここにバスが着くなんてことあるんだねと、アリゾナの澄んだ青空を眺めた覚えがある。

5つ目。この試合の第1打席で、秋山はセンター前にヒットを放つ。この日は3打数1安打。結果的に、私たちがアリゾナに滞在した間、秋山選手が試合に出場したのはこの1試合。このヒットがなければ、告別式にボールを届けることはできなかった。

秋山が記念のボールに込めた意味

その試合後に、ダラスで会ったマネージャーさんから連絡が入り、秋山選手に会う機会をいただけた。週刊少年ジャンプを無事に手渡し、「松島さんに」とボールを預かることになったのだ。

帰国し、告別式で息子さんにボールを渡した。その時は何とも言えないきょとんとした顔をしていたのを覚えているが、それもそうだろう。試合球を見るのも触るのも初めてだったそうだ。

聞けば息子さんは秋山選手の大ファンだと言う。松島さんは生前、秋山選手の話を息子さんによく聞かせていた。アスリートとして、それ以上に人として尊敬していたことは伝わっていた。

ただ、松島さんは、例えば家族がファンだからサインをもらうなどという特別扱いは一切しなかった。それが松島さんのやり方だった。だから息子さんはその存在の近さを実感したことはなかったのだろう。大ファンだった「神すぎる存在」が父親に払った敬意を知り、ただ驚くしかなかった。

しばらくしてボールの意味を理解し、「パパが亡くなった日に……すごくない?」と話していたそうだ。

秋山選手も小学生の時にお父様を亡くされている。それでも、いや、だからこそ強く生き、プロ野球選手になった姿は、松島さんの奥様にとっても励みになっている。「息子と同じ境遇だけれど、しっかり前を向いて過ごし夢を叶えた。活躍する姿を一日でも長く見させてほしいです」と話す。

秋山選手から松島さんへと渡ったボール。秋山選手から松島さんへの感謝の気持ちが、息子さんに渡り、道しるべになる。松島さんのそれまでの功績と、秋山選手の心配り。ボールは、松島さんから息子さんへのエールだったに違いない。

これから先、人生にはいろいろなことがある。その時に心の支えになってくれたら、きっと秋山選手にとっても本望だろう。

今そのボールは松島さんの自宅の仏壇で、松島さんの位牌にぴったりとくっついて置かれているそうだ。ライオンズがつないだご縁は、これから先も大切にされていくことだろう。

(※引用元 文春オンライン

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