“1点差試合”ではNPB史上最大
「野球の試合で一番面白いスコアは8対7だ」と評したのは、米国32代大統領、フランクリン・ルーズベルトである。この伝でいけば、8対7の2倍のスコアなら、面白さも倍になるとも言えるが、そんなラグビー並みのビッグスコアは、プロの試合では、滅多にお目にかかれない。
だが、時には常識であり得ないことが起きてしまうのも、筋書きのないドラマならではの醍醐味。今からちょうど30年前の1993年5月19日、ヤクルト、広島の両チームによって、1点差試合ではNPB史上最大となる17対16の“スーパー打撃戦”が神宮の杜で演じられた。(久保田龍雄)
山本浩二監督率いる広島はこの年、開幕6連勝とロケットスタートに成功し、5月19日の試合前の時点で16勝12敗、2位・阪神に1ゲーム差ながら首位をキープしていた。
一方、前年、就任3年目の野村克也監督の下、14年ぶりのリーグ優勝を達成したヤクルトは、開幕から2勝7敗と大きく出遅れたが、前日の広島戦の勝利でようやく15勝15敗の勝率5割(巨人と同率の4位)まで漕ぎつけ、さらなる浮上を狙っていた。
先手を取ったのはヤクルトだった。前日14得点を記録した打線は、この日も初回に広島のルーキー右腕・鈴木健から2安打と四球で満塁とたたみかけ、ハウエルの犠飛と池山隆寛の二塁打で2点を先制する。
1番から強打者がズラリと並ぶ広島も負けていない。2回にブラウンのソロで1点を返すと、3回にも野村謙二郎、江藤智のソロ2発で逆転し、先発・荒木大輔をKO。代わった金沢次男にも小早川毅彦が中越え2ランを浴びせ、5対2とリードを広げた。
“ブンブン丸”池山は1イニング7打点の快挙
ところがその裏、ヤクルトも「倍返しだ!」とばかりに気迫の猛攻を見せる。安打と2四球で無死満塁とし、前夜も4号ソロを放った池山の左翼席上段への満塁弾で6対5と一気に逆転した。
思わずガッツポーズが飛び出した池山は「最高の当たりだった。手応えも十分」と会心の笑顔を見せた。
さらに四死球などで再び無死満塁とし、城友博の二塁打で8対5。2死後、広沢克己の遊ゴロが、1時間以上も守り、リリーフ陣の四死球連発でリズムが狂った野手のエラーを誘い、もう2点を追加する。
そして、2死一、二塁から、この回2打席目の池山が左越えに1イニング2発の3ランを放ち、13対5。自身初の2打席連続弾、セ・リーグ史上初の1イニング7打点の快挙に、“ブンブン丸”は「一体どうなってんの? 今日は最高の1日になりそうだよ」と喜びを爆発させた。
これで勝負あった。誰もがそう思ったが、野球はどこでどうなるか本当にわからない。ここから試合は球史に残る“伝説のスーパー打撃戦”へともつれ込んでいく。
打者10人の猛攻で振り出しに
4回に2点を返した広島は、5、6、7回にも1点ずつ小刻みに加点し、7回を終わって10対16。6点リードはあっても、1イニングもゼロで抑えられないヤクルトにとっては、嫌な流れであり、逆に広島は「まだイケる」と勢いづいた。
そして8回、溜まっていたマグマが噴き出すように爆発したカープ打線は、高津臣吾、山田勉の両リリーフに7安打を浴びせ、打者10人の猛攻で6得点。あっという間に試合を振り出しに戻した。
だが、8回まで両チーム合わせて36安打32得点という史上最大級のノーガードの打ち合いは、ここから嘘のように鳴りを潜めてしまう。
9回からは一転して広島・佐々岡真司、ヤクルト・山田、西村龍次の投手戦となり、延長13回までスコアボードに10個のゼロが仲良く並ぶ。
「前半はピッチャーが(大量失点して)迷惑をかけた。僕自身(不調で先発ローテから外れ)借りがありましたから。今日は何とかしたかった」(佐々岡)。
時計の針が午前0時を回りかけ、引き分けムード(当時は15回引き分け制)も漂いはじめた14回表、広島は2死から走者を三塁まで進めたが、得点ならず。
その裏、ヤクルトも1死から広沢の四球をきっかけに暴投と2四球で2死満塁のチャンスをつくる。
5時間46分の死闘に終止符
次打者は、ミミズを食べるパフォーマンスで知られた8番・ハドラー。悪球打ちも目につき、チャンスには期待できないイメージがあったが、“意外性の男”は佐々岡の初球をゴロで中前に抜ける「メジャーでも経験したことがない」サヨナラタイムリーを放ち、5時間46分の死闘に終止符を打った。この結果、ヤクルトは、シーズン初の貯金「1」を実現し、同率首位の広島、阪神に1ゲーム差の3位に浮上した。
一人で8打点を挙げ、本来ならヒーローになってもおかしくないのに、結果的に一番おいしいところをハドラーにさらわれた池山は、3回の1イニング2本塁打を「まるで昨日のことのような……」と振り返ったが、すでに日付が変わっており、本当に昨日の出来事になっていた。
百戦錬磨の野村監督も「こんな試合、記憶にないわい。打ちも打ったり、打たれも打たれたり。今年を象徴する試合やった」とボヤキまじりに評したが、その後、5月23日に早くも首位を奪取したヤクルトは、終わってみれば2年連続のリーグ優勝と監督として初の日本一を達成。くしくも“最良のシーズン”につなげる分岐点とも言うべきビッグゲームになった。
一方、16点も取りながら、勝利を逃した広島・山本監督はやや目を赤くしながら「ま、ええやろ。佐々岡はよう投げたね」と言うのが精一杯。同年は夏場以降失速して最下位に沈み、シーズン後に辞任した。
130何試合の中のたった1試合ではあるが、結果的に勝者が栄冠を手にし、敗者がすべてを失うことになったのは、けっして偶然とは思えない。その意味でも、紛れもなく伝説の試合だった。
(※引用元 デイリー新潮)