甲子園を沸かせたスター候補が、凡打でヘッドスライディングをする。チームの4番に座るバッターが、ファウルで粘り、バントの構えを見せる。開幕二軍スタートのベテラン投手が、夏場の一軍マウンドに立ち、精密機械のコントロールでチームを勝利に導く。
スタメンだけでもない。一軍だけでもない。選手だけでもない。新井貴浩監督の「大家族野球」は、10連勝で首位に立つなど、シーズン前の下馬評を覆す快進撃である。
そんなチームに、現在、広陵高校野球部は、4人の現役選手を輩出している。そこに、新井良太二軍打撃コーチであり、白濱裕太スコアラーだ。この夏、5年ぶり24度目の甲子園出場を決めた名門校の息吹は、広島の野球界に多大な影響を与えている。
最高レベルにあった2007年の広陵ナイン
幻の天才打者を紹介したい。櫟浦大亮(とちうらだいすけ)。野村祐輔、小林誠司(巨人)のバッテリーを中心に、2007年甲子園準優勝を果たしたチームにおいて、不動の1番打者であった。その打撃センスは強豪チームにあってもトップクラスだったが、2015年に愛媛マンダリンパイレーツでユニフォームを脱いでいる。
「当時のチームメイトの活躍は嬉しいです。仕事もあるし、家族もいますので、テレビのチャンネルをいつも野球中継にしておくわけにもいきません。でも、このところの野村の登板や上本(崇司)の活躍で、久しぶりにチャンネルを変えることなくずっとカープ戦を見ていますね」
広陵を率いる中井哲之監督の指導方針は全く揺らがない。
「僕の仕事は、人を育て、彼らを世の中に必要とされる人間にすること。夢があって、男を磨けて、世の中に必要な人になる。野球は素晴らしいスポーツです」
勝利至上主義ではないのだ。だからこそ、選手には人間力と自主性を求める。そういう意味では、2007年当時のチームは最高レベルにあった。選手同士が話し合い、サインプレーを自分たちでつくっていることすらあった。ベンチからのサインは、要所で出されるだけだった。
1番・櫟浦(3年)、2番・上本(2年)は絶妙なコンビネーションを見せた。
「あのときは1番の僕が出塁すると、ほぼノーサインでした。僕が盗塁するのを、上本が待ってくれることがありました。エンドランもアイコンタクトどころか雰囲気で成立していました。僕がスタートして、上本が打てる球は打ちましたし、見逃しても単独スチールで成功するようなスタートを心がけていました。でも、僕たちだけじゃありません。2番の上本が出塁すれば、今度は3番の土生(翔平)が盗塁を待っていました」
我慢の打席を重ねる2番打者に、櫟浦は声をかけたことがある。
「僕は勝手に走るから、打ちたい球は打っていっていいよ。場合によっては、盗塁を気にせず、球を見逃すことも大丈夫だよ」
それほどに、お互いがお互いを尊重し、打線は有機的につながっていった。右打ち、バント、打席の粘り。献身的なスタイルは、スター軍団の広陵にいたからこそ、重要度を増していたのかもしれない。
4番になっても、時間をかけて築いた土台は揺らがない
あの夏から16年、上本はカープの4番に座った。「チャンスメークができる。つなぐこともできる。決めることもできる」と新井監督の信頼感は絶大だった。32歳、下積みの時期もあれば、代走や守備固めでキャリアを切り拓いた時期もあった。それが、今や「ユーティリティーではない。オンリーワンのプレーヤー」(新井監督)との賛辞である。
4番になっても、時間をかけて築いた土台は揺らがない。もちろん、チーム事情も含んでの要素は本人が誰よりも知っている。それにしても、揺らがない。出塁する打席、粘る打席、決める打席、その色合いの濃淡は見事である。
時期を同じくして、中村奨成が左足の故障から復帰した。7月25日のスワローズ戦では1番・ライトで今シーズン初スタメン、5回には、ショートゴロでアウトになったものの、1塁にヘッドスライディングを見せていた。
「思わず、頭から行っちゃいました。あんまりやったことがないですから、胸のあたりがまだ痛いですよ」
照れ臭そうに話しながらも、中村の表情からは充実感すらも感じられた。一軍定着が保証されているわけでもないが、ネガティブな焦りはない。
「今は、やろうとしているスイングがあります。体を張って、上からバットを落として、体の回転です。それを続けていくしかありません」
ドラフト1位から6年目、一軍定着は果たせていない。それでも、「ポテンシャルを認めて、励ましてくれ、それを生かせるように練習をずっと見てくれた」という存在がいる。広陵OBでもある新井良太コーチだ。
自分たちのグラウンドを大事にする。ベンチもスタンドも一体になって、相手チームに向かっていく。これが広陵の伝統だ。
そして、プロ野球での戦いである。なんとか出塁しようとヘッドスライディングを見せる。状況に応じて、チャンスメーカーにもつなぎ役にも変身する。広陵育ちの全力プレーを目にしていると、当時の球児が好んで用いた言葉を思い出す。
「一人一役、全員主役」
未来を考えすぎない。過去ばかりを振り返らない。
「今、ここ、自分」
清々しい夏の野球から学ぶべきことは、決して少なくはない。
(※引用元 文春オンライン)