2018年のプロ野球セ・リーグ、広島カープがリーグ3連覇を達成した。セ・リーグでは、読売ジャイアンツ以外のチームがリーグ3連覇を果たすのは初めてのことである。一方、常勝を課せられているジャイアンツは4年連続で優勝を逃し、カープに大差をつけられて、ぎりぎりで3位でクライマックスシリーズ出場を果たすという体たらくだ。
1998年から2012年まで15年連続Bクラスに沈んでいたカープが、ここまで躍進し、2000年代に入ってから8度のリーグ優勝、4度の日本一に輝くジャイアンツが、凋落してしまったのはなぜなのか? カープの低迷期を支え、ジャイアンツにも在籍した捕手・西山秀二氏によれば、それは、2006年に廃止されたある制度に原因があるという。
2006年の逆指名制度廃止が勢力分布を変えた
広島カープが強くなり出した理由ははっきりしています。
きっかけは、ドラフトの逆指名制度がなくなったことです。あれが12年前の2006年。それ以降、全チームが対等に選手が穫れるようになったわけです。
今、カープの主力となって活躍しているのは、逆指名制度がなくなった2007年以降のドラフトで指名された選手たちなんですよ。
広島カープ 今季の主な一軍登録選手のドラフト指名順位
2007年 高校生ドラフト1位:安部友裕、3位:丸佳浩、大学社会人ドラフト4位:松山竜平
2008年 2位:中田廉
2009年 1位:今村猛 2位:堂林翔太
2010年 1位:福井優也 6位:中崎翔太
2011年 1位:野村祐輔 2位:菊池涼介
2012年 2位:鈴木誠也 3位:上本崇司
2013年 1位:大瀬良大地 2位:九里亜蓮 3位:田中広輔
2014年 1位:野間峻祥 2位:薮田和樹
2015年 1位:岡田明丈 5位:西川龍馬
2016年 5位:アドゥワ誠
※正捕手の会澤翼は、逆指名制度最後の年、2006年の高校生ドラフト2位。1位は前田健太だった。赤字は今季のレギュラー野手と主力投手。
エース格の大瀬良、野村、抑えの中崎、「たなきくまる」トリオ、「神ってる」4番打者・鈴木誠也、3連覇の中軸選手はすべて、2007年以降の入団です。
当然、他球団だって、主力となっているのは2007年以降に入団した選手です。では、なぜここに来てカープが他チームを凌駕できるようになったのか。
カープは貧乏球団だった頃から一貫して、鵜の目鷹の目で能力の高い選手をスカウティングしてきました。それが、機会均等のドラフトになって結果につながり、いい選手がとれるようになった。そうやって入ってきた選手たちを伝統の猛練習で鍛え上げた。それが他球団との差になっていると思います。
逆指名制度で強くなった2000年代のジャイアンツ
逆指名制度があった2006年までの14年間というのは、金を使った者の勝ち、ブランド力がある者の勝ちというドラフトでした。金を使えない者は、いい選手がさらわれていくのを指をくわえて見ているしかなかった。
補強の予算に余裕がないカープは、この間の14回のドラフトのうち、7回で逆指名枠を使っていません。
一方で、逆指名のおかげで強くなったチームがある。そういうチームは、それに頼ってしまったせいで逆指名廃止以降の補強がぐしゃぐしゃになってしまいました。
その最たる例が、今のジャイアンツです。
潤沢な予算を背景に、逆指名で選手をかき集めて、それで足りないところは、よそのチームから引っぱってくる。穫った選手を育てるということをして来なかったつけを、今になって払わされている。
ただ、ジャイアンツは勝たなあかん宿命があるから、これはどうしようもない。あらゆる手を使って強くせなあかん。それぞれにチームに課せられたものがあるから、それは仕方がないことだとは思いますけどね。
ドラフトに逆指名制度が導入されていた間、逆指名で最も多くの選手を穫ったのがジャイアンツで、合計22人。最も少なかったのがカープで、合計8人である。
【ジャイアンツが逆指名した主な選手】
河原純一(1994年)、仁志敏久(1995年)、入来祐作/小野仁(1996年)、高橋由伸(1997年)、上原浩治/二岡智宏(1998年)、高橋尚成(1999年)、阿部慎之助(2000年)、木佐貫洋/久保裕也(2002年)、内海哲也(2003年)、野間口貴彦(2004年)、金刃憲人(2006年)
これらの選手たちが主力となった2000年代、ジャイアンツは、リーグ優勝5回、3度の日本一に輝いた。松井秀喜は、逆指名が導入される直前の1993年の1位指名。
【カープが逆指名した主な選手】
山内泰幸(1994年)、沢崎俊和/黒田博樹(1996年)、永川勝浩(2002年)
山内と沢崎は新人王。永川も巨人の木佐貫と新人王を争った。黒田はエースとして2000年代のチームを支えた。
逆指名という偏った制度でやっているときは、金をもっていてブランド力のあるチーム、ジャイアンツが強くなるのは当然です。
それが廃止されて、選手を穫る条件が対等になったときには、スカウティング、育成について、きちんとしたシステムを構築してきたチーム、カープが強くなる。これも当然のことです。
そのうえ、カープがラッキーなところは、すべてトップダウンで、オーナーさえOKなら、それですべてが決まることです。他のチームのように、命令系統の複雑さがないから、混乱が起こることもない。
そして、オーナーがアマチュア球界に詳しいんですよ。僕がどこかの社会人チームを見てきたって話をすると、あそこのAって選手はどうやった?ってポンポン選手の名前が出てくる。そういうオーナーの元で、補強が決まって行くから、方針にブレがないんですよ、カープは。
「カープ女子」のおかげで予算急増
そして、もうひとつのカープの幸運は、2009年に新球場(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)ができたことです。ホーム球場が、古かった広島市民球場から、きれいで観やすい新球場に変わり、ユニフォームのデザインも一新されました。
あの真っ赤なユニフォームを着て、きれいな球場で応援したいというファンが一気に増えました。「カープ女子」なんて言葉も生まれましたが、僕らの頃は、球場に女性が大挙して押し寄せるなんて考えられませんでしたからね。
2009年の年間観客動員数は、前年から一気に約50万人増えました。2015年以降は200万人を超えて、ジャイアンツ、タイガースに続いて3位につけています。
「カープ女子」の誕生には、新球場に移った2009年のドラフトで入団した堂林翔太の貢献は大きいでしょうね。甲子園を沸かせたイケメンが入団したことで女性ファンが一気に増えました。彼が入ってくるまでは、カープの主力は、男臭い顔の無骨なタイプばっかりでしたから。
このファンの急増によって、球団にどんどん金が入ってきました。
ドラフトが改革されて、いい選手が穫れるようになったうえに、予算が増えたから、外国人選手にも他球団並みの金が使えるようになったわけです。
それまでは、ドミニカのアカデミーを通じて、若い才能にあふれた選手を穫ってきましたが、予算が増えたことで、チームの弱点を補う外国人選手を億単位の予算でメジャーから連れて来れるようになったんです。
カープにとって、ドラフト改革のすぐ後に新球場に移れたことが、ものすごく幸運でした。ナイスタイミングとしか言いようがないですね。
そして、新球場に移った翌年、野村謙二郎さんが監督に就任したんですが、これも大きかった。
前任者のブラウン監督は、投球練習に球数制限を設けたりして、練習量を一気に減らしたんです。これが最悪でした。カープは12球団一の練習量でチームを作ってきたのに、これでは若手が育ちませんからね。
野村さんが就任してからは、猛練習を再開して若手を徹底的に鍛えました。就任翌年には、丸や松山が中軸を打てるまでに成長しましたし、4年めには15年ぶりにAクラス入りしました。
野村監督時代に鍛えられた選手たちが、緒方監督の時代になって、一気に花開いて、3連覇という結果に結びついた面はあると思います。
ドラフト改革をきっかけとして、明暗を分けた2つのチームが対決するクライマックスシリーズ・ファイナル。
第1戦はカープが先勝し、アドバンテージの1勝を含めて2勝0敗としました。このままカープが突っ走るのか、それともジャイアンツが意地をみせるのか。この対照的なチームの対決からは目が離せませんね。
(※引用元 現代ビジネス)