カープに鯉

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カープファンは、他チームのファンからどう思われているのだろうか?

2018年10月16日

カープファンは、他チームのファンからどう思われているのだろうか?

今回、このタイミングで。書くべきことかどうか考えたが、やはり書くべきだろうと思ったのでコミッショナーに相談した。コミッショナーというのは本物のプロ野球のコミッショナーではなく、文春野球のコミッショナーである。いや、相談という言葉は違う。書いたほうがいいと思ったし、それが書けるのは文春野球カープの監督という立ち位置を任せてもらっている自分にしかできないと思ったので、気持ちは決まっていた。相談ではなく許可を求めたのであろう。

コミッショナーから出た言葉は意外だった。それを待っていたという言葉であった。コミッショナーは以前からそこが気になっていたようであった。自分とコミッショナーは以前からの知り合いであるので言いやすかったはずだがそれでも言えなかった。それは彼がコミッショナーだからである。

記そうと思う。いましか記せないことを。そして、二度とこうしたことを記すことがないことを願うものである。

この2、3年気になっていたこと

居心地の悪さを感じたのはいつからだったろうか。そんなに昔ではない。最近のことだ。この2、3年のような気がする。

いや、もっと前からだよと言う人もいるかもしれないが、そうかもしれないしそうではないかもしれない。他のチームのファンに対して違和感あるいは嫌な印象を持つことは誰にだってある。

が、程度というものがある。その程度を越えて届き始めたのがこの2、3年のような気がする。4、5年かもしれないが、とにかくそんな昔の話ではない。

カープが久々に優勝をした2年前。大差をつけてペナントを制した場合、悪役になってしまうことはあるだろう。それはわかる。だが、その雰囲気を越えていたと思う。

気になっていた。

だが、一部の過激な、過剰なファンというのもいるにはいるだろう。いや、もし、そうではなくて、全体的に奢っている部分があったとして。長年の鬱屈した空気が一種の怨念と化して表出したとしても。それは一瞬のことであり、陽のあたるところに出れば。太陽の光にさらされれば。サニーサイドに躍り出ればその瞬間に悪い夢のように一瞬で散って消えてなくなってしまうものと思っていた。

さらには俺のことではないのだから。俺のことでもなければ、同じくカープを愛している知った顔。あの人この人。今回、カープ文春野球を組むにあたって招へいしたメンバーもそうである。俺たちのことではないのだから。

一過性のもの。気にすることはない。たいしたことはない。そう思っていた。

カープファンはもしかしたら……

だが、気にすることはない、と思う時点でおおいに気になっているのであった。

そう。気になっていた。実は今回、このカープ文春野球の監督をコミッショナーから持ち掛けられた時点で気になっていた。ほかのチームのみんなと同じ場所に並ぶことが気になっていた。

なにが?そこである。カープファンはもしかしたら折り合いが悪いのではないかということである。

はっきり記すと言葉がきつくて、ニュアンスがきつく伝わるかもしれないが、無理に記すなら「カープファンは他のチームのファンから嫌われているのではないか」ということである。

カープファンの中には自分と同じものを感じたことがあるひとがいると思う。けっこうな数、いると思う。そして傷ついたと思う。それがここ数年のことだ。

文春野球コラムの初回に、自分はその対処法を遠回しに記した。野球は相手のチームがあって初めて成立するゲームである。好ゲームになるためには相手のチームも素晴らしくなければならない。お互いにお互いを尊重して思いやる。だから野球である。

俺は。もう、一人称を俺と記すしかない。しっくりこないから。自分は、ではない。俺は、である。俺がその微妙な空気に気付いたのは数年前の神宮球場だった。

微妙な空気に気づいた神宮球場のできごと

神宮には1980年頃からたびたび足を運んだ。東都リーグの応援で馴染んだ球場でもあった。

今はなき週刊誌、平凡パンチに籍を置いていた時代には打ち合わせと称して神宮球場に出かけた。実際、打ち合わせを何度もした。レフトポールの真下が待ち合わせの場所であった。

明るくてのんびりした、たのしい野球観戦だった。

むかし、お笑い芸人を志したときの相棒がヤクルトファンだった。何度かヤクルト側、ライトスタンドで見た。

モーニング娘。の応援仲間にもヤクルトファンがいて、彼はレフトスタンドに座ってくれた。俺がライトスタンドに座ったこともある。なにもなかった。

それが数年前。俺はカープのユニフォームを着ていたのだろうか。着てなかったと思う。着ていたら俺もライトスタンドには行かなかっただろう。ただ、赤い色のTシャツを着ていたのだと思う。おそらく色違いでいくつも作っていた男の墓場プロダクション、その赤いTシャツを着ていたのだ。ライトスタンドに行こうとしたわけではなく、急いでいてライトスタンドから入場、中に入ってからレフトスタンドに移動しようとしたのだ。ライト側の入場したときにはなにもなかった。スタンドに入ろうとしたとき、係員に制止された。

広島カープのファンですかと尋ねられた。そうです、と答えると、こちらからは入らないほうがいいと言われた。

中を通っていくだけですぐレフトスタンドに行くのだと告げたが、その係員は言った。なにが起きるかわからない、安全を保証できない、と。頼むからすぐに下からレフトスタンドに移動してくれと言われた。いままでにいちども体験したことのない出来事だった。なにかが起きたのだと思った。なにかが変わってしまったのだろうかと思った。

その次の試合は三塁側内野席で見た。いつの間にか、もう忘れた気になっていた。が、時折、感じた。いろんな場所で。居心地の悪さを。

もしもそれが杞憂なら。勝者に対する、勝者を応援する者に対するジェラシーあるいは単純な腹立ちならいいのだが。

そう思いながらも奢る気持ちは持たないようにしなければという強い意志が俺の中に生まれて育った。だからなるべく全チームの選手に注目するようにした。注目に留まらず、応援するようにした。

みんなにもそうあってほしいと願って文春野球のコラムも書いた。2年前に出会った小学生俳優の彼のことをそれで書いた。彼は広島カープにも詳しかった。新井や菊池に対しては好意と尊敬を感じた。彼はジャイアンツファンだった。好きな選手はヤクルトの山中だった。それを書いた。

気持ちは伝わっていただろうか。

野球は相手があって初めてゲームが成立する

ある野球評論家に会ったとき、簡単に尋ねた。カープのファンは評判が悪いのですかと、なにげなく、軽く、そっと、ソフトに、尋ねた。彼は残念ながらそうしたことがあると答えた。申し訳なさそうに答えたように見えたが、きっぱりとした答えだった。

そのあと、別の人。広島カープのファン、そして理解のある関係者。ふたりに尋ねた。その人たちは言い方は違うが同じようなことを言った。これ以上書くと問題がありすぎて書けない。そこまでことを大きくしたくはない。俺としては認めたくない事項もあった。そのひとつひとつをここでは書けない。

ただ、間違いなくそこになにかある。いや。はっきり書いておこう。相手チームに対する気持ちの問題である。もういちど書くが相手があって初めてゲームが成立するのだ。

なぜこうなってしまったのか。実は、みんなも気付いていると思うが、カープの選手の中にも苦しい思いをしている人が何人かいそうである。インタビューや談話の端々にそれが見えることがある。もしかしたらそれが最後の最後の部分で選手たちの足を引っ張っていることはないか。

いまだから書いた。杞憂ならそれでいい。誇大妄想狂の戯言ならそれで読み棄ててください。だが俺はそれがずっと気になっていたのです。

王貞治さんが現役時代、よく記した言葉。大好きな野球。

以上です。気分を悪くされたら申し訳ありませんでした。広島カープの好ゲームを期待して筆を置きます。ありがとうございました。(杉作 J太郎)

(※引用元 文春オンライン

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