V決定試合で抱き合った途端涙が止まらなくなった……
黒田さんは自分に厳しくストイック、プロとしての自分を貫く強い人ですが、本当は人と話すことが好きだし、すごくお茶目。いたずら好きでもあります。
私もキャンプ中に一度、バッグの中に消火器を入れられたことがあります。われながらとぼけた話ですが、なんか重いなあ、と思いながら普通に宿舎の部屋まで運び、ランドリーに出そうと思ってバッグを開けたらびっくり。バナナひと房が入っていたときもありました。全部、黒田さんです。
歓喜のときは、2人が復帰2年目、16年に来ました。あの年の9月10日、東京ドームの巨人戦は一生忘れないでしょう。マジック1、勝てば25年ぶりの優勝が決まる日。しかも、このタイミングで黒田さんが先発です。大げさではなく、野球の神様の存在を感じました。
あの試合、ウイニングボールを一塁手だった私がつかみ、マウンドにダッシュ。そのときから大興奮状態だったことは認めますが、涙はありませんでした。ただ、号泣する黒田さんを見つけ、抱き合った瞬間から涙腺が大崩壊し、止まらなくなりました……。
黒田さんは優勝を花道に同年限りで引退しましたが、少し前から、薄々感づいてはいました。マツダ広島のロッカーが隣だったこともあり、至るところに痛み止めの注射を打たなければ登板できないことも知っていました。もう、体はボロボロでした。ここまでして……と思いながらも、実際に聞いたら寂しかったです。
そんな黒田さんが、私が引退のとき、地元の新聞に全面広告を出してくれた。まったく聞かされていなかったので、すごくびっくりしたし、うれしかったです。
このときも、実は、本人目線とファン目線がありました。「ありがとうございます、黒田さん」という感謝の思いと、「さすがメジャー・リーガーの黒田だ。やること違うな。かっこええやんけ」……。
黒田さんについては、もっともっとたくさん書きたいことがありますが、おそらく、いくら書いても話は尽きないでしょう。そのくらい私たちは、カープ時代、濃密な時間を過ごしました。
今あらためて思います。黒田さんと一緒にカープで戦ってこられたのは、本当に幸せでした。黒田さんと出会わなければ、間違いなく、今の自分はありません。本当に、ありがとうございます。
(※引用元 週刊ベースボール)