鬼軍曹・大下剛史さんのお話の続きです。
あまり思い出したくない話もありますが、せっかくですから具体的に説明していきます。ああ、ちょっと嫌な汗が出てきました!
「走ってろ!」と言われ、気がついたら大下さんがいなくなり、ほんと、ぶっ倒れるまで走ったこともありますが、これはフィジカル面ですから、まだマシと言っていいかもしれません。むしろメンタル面のほうがきつかった記憶があります。
例えば、これは二軍にいたときの話ですが、一、二軍の親子ゲームが広島市民球場であったときです。大下さんはヘッドコーチでもあり、二軍のゲームも視察していました。私はその日、調子が良くて、確か2、3本ヒットを打った。それで「よし、よし」と思っていたら、マネジャーの方が来て、「大下さんが新井に正座させとけと言っている」と。
ええッ!ですよね。ほめてもらってもいいくらいなのに。それで「何でですか!?」と聞いたら「あいつはストライクを見送ったから」と。「いいじゃないですか、ヒットを打ったんだから!」と言いたいところですが、大下さんは絶対です。
すぐグラウンドのホームベースのところで正座。お客さんもまだいるんで、「あいつ何をしたんだ!?」みたいな声や、笑い声が聞こえる。もう、顔から火が出そうでした。そのうち一軍の選手が練習のためにベンチ裏から出てきて、外野に向かうとき、こっちを見ながら、ニヤニヤ笑っていました。
神宮の試合では全体練習が終わった後、「お前、壁当てしとけ」と言われて、一人で外野のファウルグランドでやっていたこともあります。それも、「なんだ、新井、声を出さんか!」と言われ、もうなんだか分からないけど「よし、来い!」とか言いながら延々やってました。
もう開門してたから、お客さんもたくさんいて「何やってるんだ!?」って笑っている。正直、「なんでオレばかりに厳しいんだ」と思いました。
あのころ私は、二軍に行きたくてたまらなかった。大下さんが怖いとか厳しいとか以上に、結果が出なかったことがつらかった。周囲の冷たい視線も感じていたし、あとにも先にも「二軍に行きたい」と思ったのはこのときだけです。
(※引用元 週刊ベースボール)