今年の広島キャンプでよく耳にした表現方法がある。「打球音が違う」。オープン戦3試合を含め、2月の対外試合7試合で5勝1敗。56得点と打ちまくった広島打線の中でも、主砲の鈴木誠也は段違いな打撃を見せつけていた。
キャンプ初日から打撃投手相手に28スウィングで10本の柵越えを放った。全体の打撃メニューには入らず、ランチ特打。試運転段階からバックスクリーン直撃弾に、推定飛距離140メートルの特大弾まで飛び出した。
多くの主力が抜けた昨年、チームは4位と大きく転落した。低調だった打線の中で1年通して安定した成績を残し、自身初のタイトルとなる首位打者と最高出塁を獲得した。オフには侍ジャパンの4番としてプレミア12での世界一に貢献。MVPを受賞する活躍を見せた。
東京五輪を控える今年は広島だけでなく、日本中が注目する打者の一人といえるだろう。
ただ、本人は日本を代表する打者という自覚を持ちながらも、周囲の評価や称賛には戸惑いも感じているように映る。
キャンプ初日から柵越えを放り込む打撃だけでない。実戦が始まれば簡単に安打性を放ち、アーチも描く。自然と番記者らは背番号1を追うが、本人の反応はいつも淡々としている。打球を右ふくらはぎ付近に当てた影響で2試合続けて欠場予定だった16日の中日との練習試合に出場志願した試合後もそうだった。大事に至らなかったものの、首脳陣は大事を取ってこの日も休ませるつもりだったが「そんな立場ではない。まだ25歳ですよ。特別扱いしてほしくない」と苦笑いしていた。
この思考、精神力こそ鈴木誠の強さだ。
鈴木誠は野球界の中で頂点に近づいている感覚がないだろう。周囲はすでに頂点近くまで登っている感覚にあるが、本人が登っている山と周囲が見ている山は違う。かといって騒がれ始めている米球界を頂点に思っているというわけでもなさそうだ。目指す理想は鈴木誠の中にだけあり、誰も計り知れない高い山だと想像はつく。
今年2月に米国で大谷翔平(エンジェルス)が、同じ打ち方で打ち続けることはできないと言っていたと報じられた理論は鈴木誠の姿と重なる。
ブレイクした16年オフ、打撃フォームを継続するのではなく、一度解体することを選んだ。「身体は一年一年で変わるので打撃も変わらないといけない。シーズン中になれば一日一日コンディションも違う」と鈴木誠。しっかりとした打撃の幹を作り上げ、そこから引き出しを増やしていく作業を繰り返している。
根っからの打撃人で、四六時中、野球のことばかり考えている。移動中の多くは打撃動画を見ることに費やし、広島の中軸となっても他の選手やコーチに意見を求める。シーズン中の試合前練習でも、坂本勇人(巨人)やマイク・トラウト(エンジェルス)、ミゲル・カブレラ(タイガース)などの打者の打撃フォームで打撃練習することがある。そこからスウィング軌道やバットを振り始める感覚、タイミングの取りやすさなどヒントを探る。
昨年は公式戦で実践した。9月14日・巨人戦(東京ドーム)の4回。対戦成績8打数1安打の2番手・高木京介に対し「タイミングを取るのが難しかった」と“打てる形”を探った。坂本のように左足を大きく上げて構えたかと思えば、いつものようなフォームなどタイミングを計った。結果、「タイミングが合うか、合わないか。それすらなかった。“タイミングがない”なら、ステップするの止めようと思った」とノーステップ打法で27号本塁打を放ってみせた。
広島では4番打者であり、チームの顔となった。侍ジャパンでも4番として東京五輪での金メダル獲得を期待される立場となった。ただ、鈴木誠が目指す山の頂点はまだ見えていないかもしれない。
16年オフの契約更改を終えた代表会見で目標を聞かれた時の言葉が忘れられない。
「10割・200本塁打・1000打点」
会見場からは笑い声も聞かれたが、鈴木誠の頭の中を少しだけのぞけたような気がした。
その後、数字の真意を聞くと「僕は高い目標でも嫌にならずに結構、頑張れるタイプです。打率10割とは言いましたけど、究極です。届かないですけど、一日一日大事にして向かっていけるように練習している。やみくもにやっているわけじゃない。遠回りしてでも自分を試してやっています」と真っすぐに答えた。
当時まだ22歳だった。あれから野球人生を脅かす大怪我を経験し、長いリハビリを乗り越えた。優勝する喜びも、負ける悔しさもも味わい、人間としても成長した。でも、まだ満たされない。そんな飢餓感こそ、鈴木誠が高み高みへと登る原動力となっている。(前原淳)
(※引用元 THE DIGEST)