昨年秋のドラフト後のことだ。広島のある関係者がこんな話をしてくれた。
「1位の栗林良吏、2位の森浦大輔、3位の大道温貴……この3人の投手は、おそらくなんらかの形で1年目から戦力になってくれるはず。だから、そんなに心配していないんです。一番のポイントは、6位で獲った矢野雅哉が一軍内野陣にどこまで食い込んでくれるか。そこが大きく結果に関わってくると思います」
広島の内野陣は、二塁に菊池涼介、三塁に堂林翔太、遊撃に田中広輔と、一見磐石に見えるが、実情は違う。球団関係者が続ける。
「田中は右膝の心配があり、試合後半に矢野が守備固めで入ってくれれば、田中の負担は軽くなる。それによって田中がシーズンを通して頑張ってくれるようになれば、チームにとって心強い。それに強肩の矢野がショートに入ると、右打者に対して投手が思い切ってインコースを突ける。これも大きいんです」
開幕から約1カ月が経ち、矢野は広島内野陣の一角として見事に機能。しぶといバッティングとプロ野球界でも有数の”鉄砲肩”と”堅守”を武器に、ショートのみならず、サードもセカンドもこなすユーティリティプレーヤーとしてチームに貢献している。
亜細亜大時代は3年からレギュラーとして出場。当初から守備、走塁にセンスのよさを見せていたが、バッティングはまだ非力さが目立ち、俗にいう”走り打ち”のスタイルで内野安打を積み重ねるタイプだった。
そんな印象が一変した試合があった。昨年11月3日の中央大との一戦だ。真ん中あたりに入ったカットボールらしき球に、矢野のバットが一閃。打球は右中間をライナーで突破し、あっという間にフェンスまで達した。
おそらく、彼の野球人生でも屈指の”ジャストミート”だったのではなかろうか。インパクトの瞬間に手のひらに残る感触が、見ている者にも伝わってくるような会心の一打だった。
また、大学時代の矢野の打席といえば、”四球”というのも印象強い。とにかくボール球に手を出さない。ピッチャーにしてみれば、誘い球に乗ってくれない。ボールをギリギリまで見極めて、際どいコースはファウルで逃げる。
バッティングはお世辞にもいいとは言えないが、それでも気がついたら塁に出て、バッテリーにプレッシャーをかけ、ダイヤモンドを駆け回る。相手にしてみたら、こんな手の焼ける選手もいなかったはずだ。
肩についても、亜細亜大グラウンドのセンター120mのバックスクリーンに、ホームベースから投げてノーバウンドで?当てたという逸話があるが、実戦で見てきた矢野の強肩はじつに理にかなったものだった。
ひと言で言うと、決して力任せのスローイングをしない。三遊間の深い位置からでも、フットワークを使って安定した球筋のボールを放って、打者走者を刺していた。それを可能にしていたのは、捕球姿勢が安定して低いからだ。立ち腰にならず、スローイングに転じても頭の位置が変わらない。こういう一連の動作をしてくれたら、一塁手は安心して送球を待てる。
昨年の”東都”では、国学院大の小川龍成(ロッテ3位指名)もなかなかエラーをしないショートだったが、捕球から送球の安定感では矢野も負けていなかった。
「普段はキャプテン風を吹かすわけでもなく、明るく元気な人ですけど、野球になると黙々と率先垂範するタイプ。結果で見せたる……みたいな、根っからの関西人ですね」
そんな寸評がチームメイトから聞こえてきた。
春季キャンプ序盤は、人のうしろにまわって存在感が薄かったそうだが、會澤翼の「プロは目立ってナンボやぞ!」のゲキから徐々に変わり始めたと聞く。
“パンチパーマ”の話題ばかり広まってしまったが、それよりもオープン戦に出場した13試合を無失策で乗り切ったからこその「開幕一軍」だったことを、本人はもっと取り上げてほしかったのではないだろうか。
各地を転戦しながら試合のたびに球場が変わるオープン戦での”守備率10割”は、ルーキー内野手にとっては誇れる数字だ。
阪神・佐藤輝明のような派手さはないが、反復練習によって築かれた技術と叩き上げのド根性で獲得した一軍のイスは、なにがなんでも死守すべきである。今の広島も、そうした”たくましい選手”を必要としているはずだ。
矢野のように、チームの隙間を埋めてくれる選手がいるチームは強い。これから広島の戦いは大注目である。
(※引用元 web Sportiva)