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衣笠祥雄さんも恥ずかしがった…『赤』はなぜカープの色になったのか

2022年9月25日

衣笠祥雄さんも恥ずかしがった…『赤』はなぜカープの色になったのか

突然ですが皆さん。皆さんの「好きな色」は何色ですか? 私は「赤」。迷うことなく「赤」。その理由はただひとつ。私がカープファンだからです。

そう書かれて驚く人、あるいは「へえ~」と思う人より、おそらく「俺もだよ」あるいは「私だって」。もしくは「なに当たり前のことを書いているんだお前は」。そう思っている人の方が多いんじゃないでしょうか? その理由は、またしてもただひとつ。あなたもまた、カープファンだからです。

衣笠さんは「赤が恥ずかしかった」

いまでこそ「カープ=赤」というのは常識中の常識になっていますが、その起源はいまから約50年前にまでさかのぼります。1974年に一軍打撃コーチとしてカープに入団し、翌年の1975年、日本球界初のメジャーリーグ出身監督としてチームの指揮をとることになったジョー・ルーツさん。彼が「燃える闘志を前面に表す」という狙いで、それまで紺色だった帽子とヘルメットの色を赤に変えました。

しかし、当時のプロ野球界は現在のように各球団にチームカラーがあるという時代ではなく、多くの球団が黒、白、紺。そこまで大きく差別化されていなかった。ゆえに、それまでのプロ野球界に無かった赤を取り入れたカープは極めて奇抜だったのです。そんな中で有名なのが、カープのレジェンド・衣笠さんのエピソード。当時を振り返り、衣笠祥雄さんはこのように語っています。

「初めて見たときには、これはえらいことになった……と思いましたよ(笑)。僕らの世代では、赤い帽子というのは小学校の運動会でかぶるくらいで、ことに野球をやる人間は帽子といえば黒か紺、白くらい。赤というのは、男が身につける色じゃないと思っていました」

そう。衣笠さんは「赤が恥ずかしかった」のです。試合では被らざるを得ないけど、それでもやはり違和感があり、練習の時は前年までの紺色の帽子やヘルメットを被り、かたくなに抵抗感を表していたという話はオールドファンの間では有名。しかし。そんな衣笠さんのように「赤への抵抗」が隠せない選手がいた中、1975年のオールスターで、それまでの流れが一気に変わります。

もしあの時、ルーツ監督が赤を取り入れなかったら?

7月19日、甲子園での初戦。山本浩二さんと衣笠さんが2打席連続でアベックアーチを放ち、大下剛史さんは盗塁を決め、外木場義郎さんが好投。セ・リーグが8対0で圧勝し、翌日のスポーツ新聞に「赤ヘル軍団現る!」という大見出しが踊ったのです。衣笠さんの言う黒、紺、白。そんなカラーが大半を占める中で赤いヘルメットと帽子を被ったカープの選手が大活躍した。そう、赤に抵抗があったのは選手側だけで、マスコミや野球ファンの目線では、新鮮かつインパクトが大きかったのです。そして「赤ヘル」という言葉は野球ファンに広く認知され、この年、カープは球団創設26年目にして悲願の初優勝。赤という色と優勝という栄冠が、見事なまでに融合した年になりました。

私はふと考えることがあります。もし、もしあの時、ルーツ監督が赤を取り入れなかったら? カープがルーツさんを監督にしなかったら? カープは、いまどんな色のチームになっているのでしょう。紺色のまま? それとも? 考えるだけで違和感があるし、本当に赤で良かったと心から思います。たとえば野村謙二郎元監督。現役時代に「真っ赤に染まったスタンドを見てみたい」と言い、旧広島市民球場で2000安打を達成した試合では、入場時に「2000Hits」と書かれたボードが配られ、球場が真っ赤に染まりました。カープが初めてCSに進出した2013年は、あの甲子園球場のレフトスタンドが真っ赤に染まり、それがスポーツ新聞以外の一般紙でも取り上げられるほど話題になりました。

さらにここ10数年は、ビジターユニフォームで応援する人が増え、スタンドが真っ赤に染まり、ヒーローインタビューをする選手たちも、口々にそのことを言って喜んでくれています。もしこれが赤じゃなかったらどうなります? 青だったらどうします? 野村さんは「真っ青に染まったスタンドを見てみたい」とは言わなかったでしょう。さらに「青ヘル軍団」という呼び方もされなかったでしょう。そうなんです、もう、どう考えても「赤ありき」なのです。

情熱の色、戦う色、攻撃的な色。別に他の色をチームカラーにしている球団をバカにしているワケではありません。赤という色が、それだけ特別で、最高の色であると言いたいのです。たとえば青を基調にしているチームはその色が濃くなったり薄くなったりと微妙に変化をしていますが、カープは一貫して赤。不動の色。むしろ「赤くないカープ」なんて想像できません。たとえば青、あるいはオ、オ、オレ、オレンジとか……。

ペプシではなくコカ・コーラを…

ちなみに、カープファンになると身の回りにも赤が増えませんか? 自分の場合は、時計。G-SHOCKを愛用しているのですが、黒ばかり買っていたのに赤も買ってしまいました。財布も赤です。スニーカーなどを買う時も、赤、あるいは赤がワンポイントで入っているものを買います。IQOS(アイコス)も赤です。コーラが飲みたくなったら、ペプシではなくコカ・コーラを買ってしまいます。テレビの占いなどで「好きな色を選んでください」と言われれば赤を選ぶし、逆に「この中からピンと来た色を選んでください」と言われても、ピンと来るという脳の反応より先に赤を選んでしまいます。

というように、我々は完全に「赤」に魅了されているのです。でも、他の色だったらそこまでこだわってないような気もします。統計を取ってないので断言はできませんが、全12球団のファンに「自分の応援しているチームカラーのものをどれくらい選びますか?」と聞いても、おそらくカープの「赤」が1位になるでしょう。そう、とにかく赤は「映える」のです。かつてブームになった「カープ女子」。彼女たちもまた、赤という色に惹かれた、ファッション的にも「映える」。そういう要素もあったと思います。

そう考えるともう、私はルーツ監督に感謝してもしきれないし、足を向けて眠ることができません。もしあの時、つまり1975年にルーツ監督が赤を取り入れてなかったら、どこか他の球団が取り入れていたかもしれない。当時は奇抜だったかもしれませんが、やがてチームカラーの多様化の時代が来て、必ず赤が採用されていたと思うのです。ああ良かった、カープが先駆けで。この素晴らしき色が私たちのもので(たまにロッテが赤くなりますが……)。

というワケで皆さん。14年前に天国に旅立った大恩人・ルーツ監督が我々に与えてくれた最高の色。これからも誇りに思い、身にまとい、情熱の真っ赤なバラを胸に咲かせ続けましょう。

(※引用元 文春オンライン

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