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男気・黒田…カープ復帰の内幕、「僕は帰ります」球団本部長が明かす

2020年8月27日

男気・黒田…カープ復帰の内幕、「僕は帰ります」球団本部長が明かす

メジャーで進化を続ける黒田選手

ドジャー・スタジアムは、ロサンゼルス・ドジャースのホーム球場で、その空はたいてい、青一色にひろく晴れ渡っている。2009年の第2回WBC決勝戦で、「侍ジャパン」のイチローが伝説的な決勝打を放った舞台でもある。

その決勝戦の翌年9月23日、バックネット裏正面席には、カープの鈴木がいた。彼の視線の先で、ドジャースの先発・黒田が力投を続けている。

黒田の直球は球速150キロを超えた。フォークやスライダーも切れ、8回を1失点に抑えて自己最多の11勝目を挙げた。

鈴木は目を見張った。

──なんだ、広島時代より進化している! バリバリだ。

鈴木は隣の席に声をかけた。駐米スカウトのエリック・シュールストロムがいた。

「これじゃ、来季の広島復帰は難しいかもしれんな」

黒田がメジャーに挑戦するとき、鈴木は「お前がバリバリでは、広島に帰ってこさせることができない、でもボロボロでは帰ってくるなよ」と声を掛けていた。その黒田はメジャーに対応して成長していた。35歳でまだ進化を続けているのか。

カープ時代は剛球とフォークでねじ伏せていたが、日本での成功パターンを捨てて、アメリカ野球を受け入れていた。ツーシームやカットボールなど持ち球を増やし、相手を見ながら内外に緩急を付け、テクニックで抑えているのだ。

様子を見にきたものの……

黒田はカープからドジャースに移籍して3年目、契約の最終年を迎えている。鈴木は広島に戻って来てほしくて、黒田が帰国するたびに会ったり、国際電話をかけたりしていた。そして、とうとう米国西海岸まで様子を見にきたのだった。

ただし、万一にも不正交渉の疑いをかけられないよう、事前に日本プロ野球コミッショナー事務局に渡米の届けを出している。そして、黒田の視線の届く正面席に座って、鈴木は「ここにきているぞ」と目で話しかけていたから、日本の記者に視察は丸見えだった。

鈴木は黒田に挨拶すらしなかった。記者に捕まると、「コメントは差し控えます」と逃げるように球場から去っている。黒田は後で「マウンドから見えていましたよ」と笑ったが、今日の投球は素晴らし過ぎた。

──とてもメジャー球団が手放さない。

と鈴木は思った。果たして数球団の争奪戦に発展し、年が明けるとヤンキースに移籍した。

それからしばらくして、鈴木は黒田が1勝するたびに、投球の印象や応援の言葉を記したメールを黒田に送り始めた。それは球団を代表したものではなく、ひとりの知人としての便りだった。復帰については触れなかった。そのメールは2014年まで続いた。

黒田に惹かれる理由はいくつもあった。プロならば努力して成長するのは当たり前なのだが、年を重ねるほど進化している。遅咲きの、その意味ではカープ好みの選手なのである。

黒田の生い立ちと両親

彼は南海ホークスの外野手だった黒田一博の次男として、1975年に生まれている。一博は社会人野球の強豪である八幡製鉄から南海に入団し、1951年からのパ・リーグ3連覇に貢献した。引退後はスポーツ用品店「黒田スポーツ」を開くかたわらで、ボーイズリーグ「オール住之江」を作って監督として選手を育て、黒田を大阪の強豪・上宮高校に進ませたが、黒田自身は控え投手に過ぎなかった。

それが専修大学に進学すると150キロ台の速球を投げるようになり、ドラフト2位でカープに入団する。初めは速球とフォークだけの不器用な投手で、12勝を挙げてチームの勝ち頭となるのは入団5年目、2001年のことである。

その翌年の夏に母親の靖子が60歳で亡くなる。鈴木が取締役球団部長兼営業企画部長のころで、彼は球団を代表して葬儀参列のために大阪へ出向いた。

葬儀の約2時間前に鈴木は着いた。近くの喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら、黒田の母親の“伝説”を思いだした。

靖子は高校の元体育教師で、しつけに厳しい母親だったという。上宮高校の野球部監督から「とにかく走れ」と指示された黒田が4日間、風呂にも入らずに走り続けた話が残されている。見かねた先輩部員の母親が、息子と黒田を合宿所から連れ出して自宅で風呂に入れた。ところが電話で連絡を受けた靖子は、黒田をすぐに合宿所に送り返すように求めた。戻った黒田はまた走り始めた、というのである。

式場にはたくさんの教え子が列を作った。黒田が「強烈なオカンやった」と言う人は、惜しまず愛情を注いだ先生だったのだろう。そう思っていると、代表焼香で鈴木の名を呼ぶ声がした。

黒田はその年も10勝、翌年も13勝を挙げて3年連続2桁勝利に輝き、2005年には最多勝利、06年には最優秀防御率のタイトルを獲った。球界再編騒動が起きた04年のオフには、広島の選手会長に就き、選手たちにファンサービスを呼びかける存在となった。

あとひとつ、チームに足りないもの

靖子の葬儀からもう8年が過ぎている。長い付き合いだ。だからこそ聞けることがあった。

──あとひとつチームに足りないものがある。一体、それはどうしたら得られるのだろうか。

鈴木は黒田が日本に帰国するたびにその疑問を投げかけ、気心の知れた緒方とも意見を交わした。

黒田は精神論を言い、緒方はいつもチーム作りの具体論を語った。緒方はこうだ。

「野球はピッチャーですよ。いいピッチャーを獲って下さい。野手は作れますから。球団にカネがないなら、素材のいい選手を取って育てましょうよ。他球団とおなじことをしたら、カープの価値がなくなりますからね」

その言葉通り、緒方、金本、江藤、前田、新井といった広島の看板打者は、いずれもドラフト3位から6位で入団している。

一方の黒田は「みんなの気持ちが一つにならないとだめですよ」と言った。

「僕自身、自分に勝ち星がついても、チームがひとつになっていなければうれしくないです」

投手と野手の一体感──それが勝つための必須条件だということは頭ではわかるが、それは鈴木の手に余ることだった。

──野球は個の力があってこそだ。その個の力をどう繫げていくか、どう和を保って力を一点に集中させるかだろう。チームが負けていくと、不協和音は野手の側から出やすい。だが、打てなくても投手はあまり不満をあからさまにしない。だからこそ、投手力のある方がチームとしても和を保ち、粘り強さにつなげることができるのかもしれない。

鈴木はこうも思っていた。個々の力を撚り合わせ太い綱へと編み上げるものは、黒田のような存在だろう。何としても彼をカープに戻さなければならない。それが彼に惹かれる一番の理由だった。

「僕は帰ります!」

その電話の声は、驚くほど鮮やかに耳に残っている。

鈴木は、マツダスタジアムの1階にあるカープの球団事務所にいた。新井がタイガースを自由契約になって22日後、2014年12月26日のことだ。

時間まで覚えている。午前10時11分だった。

ニューヨーク・ヤンキースの黒田は国際電話で、確かにこう言ったのだ。

「僕は帰ります!」

鈴木は、えっ、と反射的に応えた。

「ドジャースか? パドレスか?」

帰る、という言葉を聞いて、家族の住む米国西海岸のチームに戻るのか、と一瞬思ったのだ。西海岸には、黒田がかつて所属したロサンゼルス・ドジャースがあり、その南にはサンディエゴ・パドレスがある。

「カープですよ」

鈴木は「ありがとう!」と大きな声で叫んだ。その後は何を話したのかよく覚えていない。16分56秒も会話していたのに。

黒田はカープからメジャーに挑戦して7年が過ぎようとしている。2014年シーズンもヤンキースでただ1人、先発ローテーションを守り、11勝を挙げた。ヤンキースでの年俸は1600万ドル(約19億2000万円)。翌年もヤンキースや古巣のドジャース、パドレスが、20億円近い額を提示していると報じられていた。

その彼も間もなく40歳になる。

──黒田の年齢や性格からして、次のメジャー球団で良い成績を出せなかったら引退してしまうな。

鈴木はそう感じていた。黒田のためにずっと背番号15を空けて待っていたものの、2014年オフがカープ復帰の最後のチャンスになると腹をくくっていた。

「帰ってきてくれるなら、ファックスで送ってくれ」

黒田は12月に広島に滞在していて、24日のクリスマスイブには鈴木と話し合っている。黒田は、大リーグ残留か、カープ復帰かで迷っていた。そして、滞在を少し延ばそうとしていたので、鈴木は「クリスマスは、アメリカに帰って家族と過ごせよ」と言って送り出したのだった。

別れる際、日本プロ野球の統一契約書を渡して、「もしカープに帰ってきてくれるならば、これにサインをしてファックスで送ってくれ」と頼んでいた。カープとしての来季年俸額が記入してあった。「帰ります」という電話があったのはそれからたった2日後だったので、鈴木は少し混乱したのである。

ファックスの前で鈴木は落ち着かなかった。黒田のサインした統一契約書が届くはずだった。黒田は口に出せばそれを守る男だが、ファックスが来れば確約だ。

ピー。時折、他のファックスが入ってきた。鈴木は職員に指示をした。

「当分、誰もファックスを使わないでくれ!」

そしてとうとう、それは来た。ファックスを受け取り、黒田に確認の電話を入れると、鈴木は球団事務所の2階に駆け上がった。オーナー室と総務、営業、販売のフロアがある。(松田)元は奥の方で職員と話しており、飛び込んできた鈴木と視線が合った。鈴木はファックスを手に、両手で大きくマルを作った。その合図で黒田が帰ってくる、とわかったようだ。

翌々日の新聞では、元が慌てて手にしていた飲み物をこぼした、と書かれていたが、鈴木には、統一契約書を手に満面の笑みを浮かべた元の記憶が残っているだけだ。鈴木はその電話の着信履歴を保存するために、スマホの機種変更をした。記録そのものが彼の宝になった。

(※引用元 文春オンライン

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