カープ一筋で213勝
広島カープのエースとして5度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献し、通算213勝を記録した北別府学さんが6月16日に亡くなった。65歳だった。現役時代の北別府さんは、直球は130キロ台後半主体ながら、スライダーなどの変化球を織り交ぜて緩急をつけ、「精密機械」と呼ばれる抜群の制球力と巧みなコーナーワークで、11年連続二桁勝利を記録するなど、一時代を築いた。(久保田龍雄)
先輩の外木場義郎、池谷公二郎の速球に「自分のスピードでは太刀打ちできない」と衝撃を受けて以来、自らの生きる道をコントロールに求め、血のにじむような努力で制球力に磨きをかけた話も知られている。
その一方で、「入団したときはO型だったけど、辞めるころにはA型になっていた」(『北別府学 それでも逃げない』グラフ社 友部康治氏との共著)と自ら回想するように、“気配りの人”として、チームメイトに優しい気遣いを見せたエピソードも多い。
1986年、北別府さんは18勝4敗、防御率1.07の好成績でチームの2年ぶりVに大きく貢献するとともに、最多勝、最優秀防御率、最高勝率、沢村賞など投手部門のタイトルを総なめにし、MVPにも選ばれた。
そんな最良のシーズンにあって、北別府さんらしい気配りが見られたのが、優勝を決めた同年10月12日のヤクルト戦だった。
胴上げ投手を目前にマウンドを譲る
9月以降、全試合完投で6連勝中の北別府さんは、この日もヤクルト打線を5回まで散発3安打無失点に抑える。6回にレオンの3ランを許したものの、8回を終わって8対3と大きくリードし、余裕の完投ペースだった。
だが、胴上げ投手を目前にした最終回、北別府さんは抑えのエース・津田恒実にマウンドを譲って降板する。
同年、血行障害を克服し、復活を遂げた津田は、前半戦で3勝12セーブを挙げ、なかなか調子の上がらない先発陣に代わってチームを支えてきた。前半戦は7勝3敗ながら、自身の投球に納得していなかった北別府さんは「津田への感謝の気持ち」から胴上げ投手を譲る気持ちになったのだという。
ただし、8回を投げ終えた直後、「津田に投げさせてやってください」と首脳陣に直訴したという話は、津田を主人公とするテレビドラマの“創作”だったことを後年明かしている。
真相は、登板の数日前、北別府さんが新聞記者に「胴上げ投手は津田に務めさせたい」と話し、その気持ちを察した阿南準郎監督が最終回に津田を送り出したというもの。北別府さんは「8回を投げ終えてベンチに帰ったとき、みんなに『ご苦労さん』と言われて初めて(交代が)わかった」と回想していたが、それでも、弟のように可愛がっていた後輩に対する心遣いの結果であることに変わりはない。
ナイン一人ひとりに「ありがとう」
その後、90年に右肘を痛めた北別府さんは車のハンドルも握れず、歯も磨けないほどの重症に陥り、「野球を辞めようか」と思いつめたという。
だが、「不動心」を座右の銘に見事復活をはたし、91年に11勝4敗で通算3度目の最高勝率のタイトルを獲得、チームの5年ぶりVに貢献すると、翌92年も7月8日のヤクルト戦でハーラートップタイの9勝目を挙げ、通算200勝にリーチをかけた。
そして、7月16日の中日戦、北別府さんは8回まで1失点に抑え、5対1とリードして降板。ベンチに戻ってくるなり、ナイン一人ひとりに「ありがとう」と感謝の言葉を贈った。
さらに、守護神・大野豊が最終回を無失点に抑え、200勝が確定すると、「最後は大野さんが抑えてくれた。一人でできた記録じゃない。リリーフ陣にも迷惑かけた。だから、みんなで勝ち取った200勝だ。監督ほか、チームメイトみんなに感謝しています」と気配りの人らしい言葉を口にしている。
また、通算203勝目がかかっていた同年9月13日の巨人戦では、1対0とリードした5回、川相昌弘の中前への打球を前田智徳がダイレクト捕球に失敗して同点のランニングホームランになったことから、ほぼ手中にしていた勝利投手の権利が消えてしまう。
前田は1対1の8回に決勝2ランを放ち、チームに勝利をもたらしたが、すでに北別府さんが降板したあとだったので、「最後にホームランを打ったところで、自分のミスは消えない」とヒーローインタビューを拒否した。
そんな前田を、北別府さんは一言も責めることなく、「200勝のうち、どれだけ野手が打ってくれて守ってくれて勝てたことか」と“神対応”を見せた。
最高の“引退試合”
94年の現役引退に際しても、北別府さんらしいエピソードが残っている。シーズン中の9月15日に引退を発表した北別府さんは、地元最終戦となる同20日の巨人戦で“花道登板”が予定されていた。
だが、中日とともに三つ巴のV争いを演じていた両チームは前半から激しい点の取り合いを演じ、お互い1歩も譲らない。
そのとき、北別府さんはブルペンで現役最後の登板の準備をしていたが、「(引退を決め)気持ちの切れた自分が登板すべきではない」と意を決すると、一緒に投げていた大野に「オレは行かんぞ!」と宣言した。
その後、試合は広島が8回に8対7と逆転。最終回を「ペー(愛称)の分と合わせて2倍の力が出た」という大野が抑え、逆転Vに望みをつなぐ1勝を挙げた。
試合後、引退セレモニーでグラウンドに立った北別府さんは「入団以来カープひと筋でやってこれたことを幸せに思います」とファンに挨拶したあと、ナイン全員の手で宙に舞った。引退登板は幻と消えたが、一生思い出に残る最高の引退試合になった。
これらの北別府さんの珠玉のエピソードは、“20世紀最後の200勝投手”の称号とともに、これからも長く語り継がれていくことだろう。
(※引用元 デイリー新潮)