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正田耕三、本塁打ゼロ&スイッチ初の首位打者/1980年代の名選手

2019年3月14日

正田耕三、本塁打ゼロ&スイッチ初の首位打者/1980年代の名選手

1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。

プロ野球4人目の2年連続首位打者

2018年オフに現役を引退したロッテの岡田幸文は、現役も最終盤は打撃の全般で苦しんだが、最後まで貫いたのは“本塁打ゼロ”だった。「全打席でホームランを狙う」という打者でなくても、安打を量産していくうちに本塁打は“出てしまう”もので、岡田の軌跡はプロ野球の歴史において異彩を放つものと言える。

さて、1980年代。本塁打ゼロのまま首位打者に輝いた男がいた。広島の正田耕三。84年のロサンゼルス五輪で金メダル獲得に貢献し、ドラフト2位で翌85年に広島へ。3年で芽が出なければ、実家の蕎麦屋へ戻るつもりだったという。

「やるだけのことはやって、それでダメだったら、しょうがない、と」

その3年目の87年、打率.333で巨人の篠塚利夫とタイトルを分け合い、131安打を放ったが、最後まで本塁打は出なかった。用具が粗悪で、本塁打そのものが奇跡のような存在だった1リーグ時代ではない。その87年はヤクルトのホーナーが軽々と本塁打を量産して旋風を巻き起こし、チームメートの小早川毅彦が劇的な一発で巨人の江川卓を引退に追い込んだシーズンだ。

本塁打ゼロの首位打者は2リーグ制となって初めて、そしてスイッチヒッターの首位打者はプロ野球で初めての快挙。身長170センチの小兵が唯一無二の存在として球史に名を刻んだシーズンにもなった。取材陣が殺到するなど環境も一変。

「重い荷物を背負った」

と苦笑した。それでも、以降2年連続で首位打者。これもプロ野球4人目となる快挙だ。

スイッチヒッターへの挑戦は1年目の終盤。プロのスピードについていかれず、古葉竹識監督に勧められて、内田順三コーチと猛特訓に励む。シーズン最終打席で左から初安打。その後も特訓は続き、手がバットを握った形のまま固まることもあった。打撃は着実に向上し、韋駄天ぶりや堅守でも86年の優勝に貢献する。二塁の定位置をつかんだ87年には30盗塁に29犠打。首位打者を決めたのは、手首の故障でバットが振れない状態ながら、首脳陣に説得されて最終打席で決めたセーフティーバントだった。

最初の首位打者では、右打席での打率.377に対し、左打席では打率.314と、もともとの右打席のほうが努力で手に入れた左打席を上回っていたが、打率.340で2年連続の戴冠となるころには、わずかではあるが左打席のほうが安定するようになっていた。右打席での打率.338に対して、左打席では打率.341。手首の故障で右打席にしか立てなかった93年は打率.257にとどまっている。左打席ではバットを高々と構え、ボールを上から叩いて一塁を駆け抜けた。一般的な美しい打撃フォームとは言い難いが、そんな姿も、この男の職人肌を浮き彫りにするようだった。

名バイプレーヤーの真骨頂

89年は自己最多の161安打を放ったが、プロ野球で初めてシーズン規定打席に到達した時点でも打率4割を維持していた巨人のクロマティ、前年のライバルでもあった大洋のパチョレックらの勢いが勝り、それでもリーグ3位の打率.323。一方で、大洋の高木豊、ヤクルトの笘篠賢治らと盗塁王を争い、10月15日の中日戦(広島市民)では敵失も含めて4度の出塁で二盗4回、三盗2回のゲーム6盗塁で34盗塁に。

笘篠は17日に1度の盗塁企図で盗塁刺となって32盗塁で終了、高木も15日から18日までで12度の盗塁企図で5盗塁と追い上げたが、同じく32盗塁と届かず。3年連続の首位打者こそ逸したものの、初めて盗塁王に輝いている。

90年代はヒザの故障もあって盗塁は狙わなくなった。打順も二番が多くなり、犠打が急増。自由に打てない打順でこそ、真価を発揮した印象すらある。ラストイヤーの98年もコーチ兼任ながら110試合に出場したが、球団に自ら引退を申し入れた。若手の出番を増やすため、というから、なんとも振るっている。大野豊の引退試合であふれた涙を、自らの引退試合で流すことはなかった。(写真=BBM)

(※引用元 週刊ベースボール

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